21/04/13 日記

 noteの利用者として、ときどき、このサービスは大丈夫なのか、と思うときがあって、例の「新今宮ワンダーランド」の件や、以前にホームレスを取り上げた記事が問題になったときなどもそうなのだけれど、社会(行政)とホームレスの関係を書かない(そこをしっかり書け、と言うつもりもないけれど、ほんとうに、一切触れていないのだ。それはそれで奇妙でしょう)、というよりも、ストレンジな存在として親しく書いてふわっと楽しい読み物にするだけなのが、なんとも言えず、といった感じ。自分はそちらとは無縁だよ、あなたがた(と、あなたがたが住んでいる場所)自分の人生を輝かせる対岸の存在だよ(まさしくそれが”ワンダーランド”なのでしょうね)、と思っているのかな、と言われても仕方がないような書き方。今回の場合、フィクション、小説としてならわからないでもないのだけれど、取材(という体裁の)記事で行政の絡んだPRなのに、あのようになってしまうというのは、どう考えたものかしら。

 とても具合が悪い。頭がズーンと重くて、明るいことが考えられない。常に疲労しているような感じ。

 具体的に言うと、ウマ娘すらできない。あれが気晴らしにならない。あの手のスマホゲームすら考えることが多すぎて、楽しめない。それほどまでに心の余裕がない。でも、この説明で伝わるのだろうか。

 ただ、モンスターハンターライズは遊べている。あれは頭を空っぽにしても、グラフィックに反応していけば狩猟ができるので、気分転換になる。とはいうものの、上手なわけではなくて、ラージャンが相手でもたまに1回力尽きるときがある、といった具合。ところで、「イブシマキヒコ」のイントネーションが、「い↑ぶしま↑きひこ」になってしまう(漢字にすると「飯伏牧彦」みたいな感じ)のだけれど、たぶん誤りですよね。「イブシマキヒコ」は「世田谷生まれ(のグルコサミン)」と同じイントネーションのはず。

 それはそれとして、親しい人に「調子が悪い」と弱音を吐いたり愚痴ったりしようとしても、自分の現状や精神状態を伝える表現が、頭の中で像を結んでくれず、ひどく落胆してしまう。いつもみたいにだらだらとした言葉すらうまく出てこない。どうしたものでしょう。

 1日ずつできることをやっていけば、そのうちに心の余裕が生まれてくるかもしれないと淡い期待をしながら、(自分としては)無理のない範囲でどうにかやっているのだけれど、はたして。「とりあえず、今夜はがんばって耐えるか」を毎晩続けている。


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