20/05/02 日記

 暑い。エアコンのフィルターを掃除して、冷房の準備を整える。水出しのアイスティーまで用意してしまった。

 夕食にナポリタンを作る。ちょくちょく通っていた小料理店の店主が、「ケチャップは安いものを使ったほうがおいしい」と言っていたので、安いケチャップを投入。いや、高いケチャップが家にあるわけではないけれど……。

 政府から支給されたマスクのサイズを確かめたり、着用している有名人の写真を見たりすると、嫌味でもなんでもなく、森公美子は顔が大きかったんだなと実感する。

 矢部浩之の説教は、「結婚することで変われ」と言いたいのではなくて、「性格を変えろ」「人間関係を見つめ直せ」と言いたかったのではないか。

 つまるところ、「結婚しないから、こんなことに」というニュアンスのことではなく(手段の一つとして「結婚」を提示することが古いと言われれば、その側面はあろうけれど)、相方の男性として品のない発言を、男性的価値観で回収したのではないか、という意見には、やや頷きがたい。

 人と向き合わなくてはいけないけれど、岡村隆史の年齢になると、無理にでも変えないといけない限り、なかなか変わらない。やむなく、自分の価値観を変えていく場に身を置かねばならない。

 他人に変えてもらうのは甘えであり、自分自身で変えろ、異性を利用するな、と言うのはもっともだ。しかし、芸能人として、ある程度の年齢で、確固たるポジションを築いた人間にとって、無理くりにでも関係を新しく作らないと、気持ちは動きにくいことも理解できる。

 そもそも、そんな簡単に、自分を変えられるものだろうか? 人生における一大イベントでもないと、そうはならないのでは? 

 それを示す卑近な例として、結婚を引き合いに出したのではないか。別に、女性を利用しろ、と言いたいわけではなく。

 「自分を甘やかすな、心根を変えろ」というメッセージは、岡村隆史はもちろんのこと、彼と共犯関係にあった(と書くと、ちょっと悪い表現だとは思うけれど)リスナーにも向いた言葉だったのかもしれない。

 社会のルールを大人として受け止めろ、ということ。

 ひどい言い方だけれども、「岡村隆史が」「深夜ラジオで」言ったのがよくなかったのだろうなと思っている。もっと下卑たイメージの人だったら、これほどの騒ぎにはならなかったはず(下卑た人が言った場合はセーフということではありません)。今の御時世に、電波にのせて発信してしまったことが、拍車をかけた。

 芸能人、タレント、お笑い芸人。トークで金を取る、話のプロ。言葉そのものも、それを言う場所も誤ってしまったのだから、少なくとも、話のプロとしては、相応の責任はある。社会倫理的な責任は、またすこし違ったレイヤーのものだろう。

 「ぐるナイ」「チコちゃんに叱られる!」に出ている芸能人が、他人の経済的危機によって自分が得することを、深夜ラジオとはいえ電波にのせて発信したのがまずかった。

 深夜ラジオ特有の「リスナーとの関係が云々」というなら、クローズドのイベントで発言すればよかったのでは、という話になるし。矢部浩之の言葉は、そのあたりも看破したものではないか。

 しかし、岡村隆史という芸能人を、子供っぽいイメージとして、いわば「非モテのおっさん」として祭り上げていた周りの人たちが、いきなり大人としての立ち振る舞いを求め出すのは、すこしおかしいのではないか、という気もした。

 相方の矢部浩之だからこそ言えた、ギリギリのライン。他の人ではブレーキ役になれなかった。たとえば、これが、ラジオ番組のスタッフや、かつてナインティナインが出演していたバラエティ番組のプロデューサーなどが言ったとしたら、説得力はなかっただろうし。

 ともかく、いまの時点では、風俗の話はとっくになくなってしまい、番組を降板しろ、彼にフェミニズムを学ばせろ、という話になってしまっている。それはそれで、どうなのでしょう? 

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