20/09/24 日記
自分もメンタルをひどく病んだときがあるので、依存症から人生を踏み外している人を見ると、「自分もこうなったかもしれない」と思い、いや、そうではなくて、何度も踏み外しかけて、いろいろと失いつつも、そのまま生きてきただけなのだなあと、ぼんやり感じる。
それでも、月並みな物言いだけれど、過去の自分を振り返って「うーん」と思うなら、やはりそれは進歩の証明なのかもしれない。問題は、「進歩する前」の誤ちを取り戻すすべがないことなのだけれど。
「外国人に『掃除はお母さんの仕事じゃないよ』」と言われてハッとした……というようなエピソードをTwitterで見かける。この手の話はネットにあふれているのだけれど、その人の育ってきた環境や国の文化などによるところが大きすぎて、1人の話したことを、グローバルに敷衍すべきことのように話すのも、それはそれで乱暴ではないかと思う。
この手の話は、「日本は遅れている!」というスタンスで語られがちだ。もっとも、生き方が多様化する中で、既存の価値観を否定することこそ新しい、という主張に見える書き方をする危うさも感じたほうがよいのだろう。
Excelによる申請の件は、「お役所仕事じゃないかな、せっかくの制度なのだから、もっと簡単にしてくれれば申請しやすくなるのに……」ぐらいに言えば、その通りだよねとなりそうなものを、表計算ソフトとして(おそらく)もっともシェアがあるExcelでの申請に対して「芸術文化がどうなってもいいのか、撤回しろ、拡散希望」という感じなのが、さすがに急すぎるという感じだ。
「10年来のオタク友達(リア友)とバイバイした話」のような、ああいう展開の文章は、後半になると勢いだけの雑な手触りになりがちで、ほんとうにもったいないと感じる。書き出したときが、本人にとってのピークなのかもしれない。
きれいに脱毛しているのに、腋毛だけ残している女性がいるとしたら、確かに興奮すると思うけれど、その理由が自分でもよくわからないのです。
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