20/06/27 日記

 33歳になったときに、じりじりとした焦りを感じた。このままでは、おそらく自分はそう長くは続いていかないだろうという不安。それがあったものだから、2020年は勝負をかけたかった。勝負をかけるといっても、もっとがんばろう、ぐらいの気持ちですけれど。

 そうしたら、2月、3月と、世界的に情勢が悪くなっていって、どんどん外に出ることが億劫になっていった。思い切り踏み込みたいところに、出鼻をくじかれたというか。そうはいっても、世界がそうなのだから、自分など、どうすることもできない。

 世の中はままならない、とは言うものの、まあ普通に暮らせるだけの生活水準を維持できているのだから、幸福なほうなのかもしれない。生死をさまよったり、仕事を失ったりしているわけではないのだから。

 しかしながら世間がヒリヒリし始めると、やはりどうしても自分もそちらに引っ張られてしまって、政治的なこと、社会的なことに、苦虫を噛み潰したような顔をすることも増えている。でも、それもしょうがない。政治的なことを言ってもよいし、社会的なことに首をつっこんでもよいのだ。生活するとは、そういうことなのだし。頓珍漢なことを言ってしまったら、突っ込まれることも受け入れないといけない。

 ここまで読み返すと、なんともまあ、当たり前のことを書いているのだろうという気になる。当たり前のことが大事なんだ、ということに気づきました、などと言いたいわけではないのだけれども。

 でも、まあ、憂鬱な気分になることは、すくなくとも、20代のときと比較すれば、減っている。その理由は、いまいちわかっていない。明日の朝になったら、沈んだ気分の目覚めになるかもしれないけれど、それは神のみぞ知るというやつです。


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