20/03/21 日記

 遅めに起きた。シーツを洗濯して干せたので、よしとする。ぼんやりと出かけて、ぼんやりと喫茶店で過ごす。夕食はカレー。もともと辛いものは好きだけれど強くはない。ただ、年々、辛さに耐性がついている気がする。感性がにぶっているだけだろうか。

 自分の人生の中に、再現性を持たないといけない。こうすると、こうなる。こうしないと、こうならない。そのことをしっかり理解できないと、運否天賦で、なんとなくよかった、なんとなく悪かったで終わってしまい、次に活かせない。仕事でも、趣味でも。そこまで突き詰めて考えなくてよいこともあるけれど。

 いつもだったら、そろそろ野球が始まるシーズンなのだけれど、なにしろ、世界中、あんな感じだ。いつ開幕するかわからない中での練習試合は、見ている方も身が入らない。

 最近、音楽の話をしていないなと思った。よく聴いているものというより、びっくりしたという点で、Edson Nataleはどうだろう。

 サンパウロ出身のミュージシャンで、全然知らなかったのだけれど、1990年のアルバムが2019年に再発された。Music From Memoryのコンピにも収録されたそうで。

 これが、本当に感動した。帯には「ミルトン・ナシメントらが牽引した『街角クラブ』諸作にも通じる普遍的な音楽性と、バレアリック/ニューエイジ的感覚が融和する、あまりにも早すぎた名作」とある。大げさじゃないかしら、と感じたものの、聴いてみれば、その通りだと思う。

 ニューエイジ的なツルッとしたシンセサイザーの音色は2020年にこそ聴きたいという感じだし、ミナス的な浮遊感のあるコード進行も見事だし、ちょっとPat Methenyを思わせる要素もあるし。欲しいものがちょうどよい形で、ぜんぶ詰まっているという感じだ(余計なことを言えば、なんとなく、当時だったら確かに埋もれてしまうだろうな、という雰囲気もある)。

 メディテーション的なミナス・サウンドというか。バレアリック的な感性でも聴けるだろうし、Toninho Hortaの『Durango Kid』あたりが好きならもちろん気に入るはず。ビッグ・リイシューだと思う。

 それにしても、世の中には、いろいろな音楽があるのだ。当たりもあれば外れもあるとはいえ、たまに震えるような経験もできる。まだまだ知らない世界もたくさんある。生きることが厭になることはたくさんあれど、簡単に諦められないとすこし思ったりする。

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