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家で聴くための音楽、その12:バッハ 『ブランデンブルク協奏曲』

バッハ、普遍性と独自性を持っていた人

 家にいることが増えてきた人に、家で聴くとよい感じではないかしら、と感じる音楽を紹介していく連載。

 第12回はJ.S.バッハの『ブランデンブルク協奏曲』。

 バッハを知らない人はいないと思う。いない、は言いすぎだとしても、相当に少ないのではないか。

 たとえ、バッハが何の曲を書いたか知らなかったとしても、『平均律クラヴィーア曲集』の第1巻のハ長調の前奏曲、『無伴奏チェロ組曲』の第1番の前奏曲、『心と口と行いと生活で』の終曲のコラール「主よ、人の望みの喜びよ」あたりを聴けば、ああ、これか……となるはず。

 菊地成孔の表現を借りれば、この大作曲家の作品は、「パンチライン」の固まり。とにかく、耳なじみのよいフレーズが、次々と繰り出される。

 そして、バッハの偉大なところは、とにかく駄作がない点。というよりも、たとえば、若年とか、晩年とか、そういう分類がむずかしいほど(作曲の年代がわかっていない楽曲も多いにせよ)、大きな変革期がその人生にあったわけではない。

 どの曲も、バッハらしい。他の作曲家の人生を考えても、いや、もっと卑近な例を出せば、自分がこれまで生きてきた道のりをちょっと振り返ってみれば、バッハの、生涯を通じて、質・量ともに他に類を見ない生産性は、おそるべきものだ。

 後年の作曲家は、古典派だろうがロマン派だろうが印象派だろうが、いわゆる現代音楽にくくられる人たちでさえも、バッハに多くのことを学んだはずだし、しかし、誰もバッハそっくりにはならなかった。

 西洋音楽において、大きな時代の流れに生み出しただけではなく、歴史上に類を見ない、普遍性と、独自性を持っていた人。彼が、ジャズやロックの文脈において、もう陳腐とも思えるぐらい、さんざん引用されたのは、それだけの魅力を持っているから、といえるのではなかろうか。

 だから、バッハ入門はなにがよいですか、と聴かれれば、正直、どれから入ってもよいのではないかしら、とさえ思う。

 管弦楽が聴きたいなら、ブランデンブルク協奏曲でなくても、「G線上のアリア」が聴ける『管弦楽組曲』でもよいし、『チェンバロ協奏曲』や『ヴァイオリン協奏曲』でもいい。他者が編曲した名曲集のようなアルバムにも、聴き逃せないものは少なくない。

 室内楽曲には、『ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ』『フルートとチェンバロのためのソナタ』などがあるし、CD時代は『ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ』が1枚に収まっているサイズ感もあって便利だった。

 さまざまな編成で演奏される『音楽の捧げもの』や『フーガの技法』だって、とっつきにくいかもしれないけれど、傑作であることに疑いの余地などあろうはずがない。

 オルガン曲などはクラシックを知らない人でも知っている旋律の宝庫だから、名曲集のようなアルバムでさえも数えるのがたいへんなほど。クラヴィーア曲(当時はピアノが普及していなかった)には『平均律クラヴィーア曲集』『ゴールドベルク変奏曲』などがあり、『無伴奏チェロ組曲』『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』はその楽器の演奏家にとってバイブルであり看板だ。

 声楽曲など、もう限りがない。いきなり『マタイ受難曲』や『ミサ曲ロ短調』にぶっ飛ばされてもよいし、カンタータ集や『マニフィカト』あたりを聴いてもよいだろうし。

 その中から、ブランデンブルク協奏曲を取ったのは、親しみやすい旋律が多いし、ソロパートを含めてさまざまな楽器の妙技も楽しめるという点から。バロック音楽の合奏協奏曲としての、一つの極北といっても、過言ではないはず。聴きどころが多いし、ダレる展開がない。

躍動するリズム、アグレッシブなバロック音楽

 ラインハルト・ゲーベル指揮、ムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏を推薦したい。1986~87年録音なので、もう30年以上も経つが、いまだに新鮮だ。

 とにかく、リズムがすごい。かといって、もうめちゃくちゃ、やみくもにテンポが速いだけではない。

 リズムの打ち込みがきびきびと明確にして、各楽器の音色も、うまく前に出るようにしているのがポイント。もちろん、演奏の縦の線もビシッと合っている。そのため、曲の中でコントラストがくっきりと浮かび上がり、ものすごく快速に感じる側面がある。

 たとえば、第1番のホルンに耳を傾けてみよう。当時の演奏法と楽器の可能性を追求したようなこの楽曲においては、ホルンも、高く細かい音を要求されたり、かと思えば狩猟用ホルンのような音形が出てきたりと、テクニカルだ。

 この録音では、ホルンの音一つ一つに、(とくにバックに回るとき)強くアクセントを置く。これが、リズムに楔を打ち込むごとく、演奏を引き締める効果をもたらす。だから、速いといっても、ただ流している感じには聴こえない。奏者陣の技術も相当なもの。

 そうはいっても、このテンポ感は尋常ではない。第3番のアダージョ〜アレグロは、もしかしたら録音史上で最速かもしれないし。第6番第1楽章で、あえての高速テンポを選ぶセンスもすばらしい。カノンが半拍ずれることによって生まれる効果を、リズムをしっかり刻むことで劇的に表現している。

 奏者たちの息が合っているだけでなく、「このテンポのために、こういうアクセントを置く、このようにメロディーを歌う」という、設計の指針が、全員に浸透しているのだと思う。クラシックのアンサンブルを聴くよろこびは、こういうところにある。理知的なリズムが躍動している。

 自分は、クラシックの愛好家が、たとえば、ホルストの『惑星』とか、ストラヴィンスキーの『春の祭典』とか、要するにオーケストラが思い切り鳴らすような、あるいはリズムが(クラシック音楽としては)アグレッシブなな曲を、「ロックが好きな人でもお気に召すでしょう」みたいなことを言うたびに、それは軽率な意見なのではないか、と思ってきた。

 あるいは、騒がしい演奏になりがちな奏者に、「ロックでもやればいい」という揶揄をする人の、「ロック」に対する想像力の欠如に、すこしの失望も感じてきた。

 それでは、ジャズやロック以降のリズム感さえも過去のものになりつつある人たちの耳に届けたいクラシックとはなにか。自分なら、このゲーベルの録音などを挙げるだろう。バロック音楽の中から、都会的なグルーヴを取り出すことに成功した稀有な録音。

 そういえば、バロック(baroque)という語はポルトガル語の「barocco (いびつな真珠)」が由来で、ドイツ音楽史的にいえば、『彫刻や絵画などと同じように速度や強弱、音色などに対比があり、劇的な感情の表出を特徴とした音楽』と定義されるのだという。

 いまでは、バロック音楽など、ホテルのロビーで流れているような、くつろぎのサウンドとして消費されることも多いだろう。しかし、このゲーベルの演奏は、“バロック”の意味を現代に蘇らせたと評価してもよいのではないかしら。


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