20/04/30 日記 塵も積もって100日目

 noteに15分ぐらいで書く日記が、100日目を迎えた。毎日、とくにヤマもオチもない日々を、ぼんやりと書いている。

 あらためて読み返してみると、ほんとうに後ろ向きで、めんどうくさいことばかり書いていて、自分でもあきれてしまう。こんな内容ばかり書き連ねて、どうしようというのだろう。いや、どうというつもりもないけれど。

 これを機に自分を知ってもらおうというわけでもないし、よく見せたい理由もないものの、もう少し明るい方がよいのではないかしら……。もっとこう、ユーモアとか、ペーソスとか。

 政治的な話が増えてしまったのも、自分としてはすこし、意外な気もした。しょうがない。野球が開幕していれば、試合に入れ込んでいただろうし、ハマったテレビ番組があれば、SNSでしつこく実況していただろうし。

 そういう時勢になり、言いたいこともそれなりに多くなってしまったというだけで。もうすこし自制しても、と言われると、返す刀もないとはいえ。

 塵も積もれば山となる、という。こんな塵のような日記でも、続けていけば、何かしらの山にはなるだろう。しかし、世の中には、宝の山のような文章も、峻厳自然を味わえる山のようなテキストもある。塵の山は、しょせん塵の集まりでしかない。

 ともあれ、ネットには、塵をいくら流しても、文句を言われないというメリットもある。自分は、好きなアーティスト、過去の大作家、あるいは友人の、なんでもない日常を書いた日記を読むのが好きだ。

 そういう人たちが、「なんだ、塵のような文章でもよいのか」と思ってくれるきっかけになるのであれば、このような日記で、塵を落とし続けるにも意味があるような気はしている。なんとなく。

 以前、日記に、1万円札を拾って交番に届けたことを書いた。結局、落とし主は現れなかった(気付いていないのかもしれない)。今日、買い物のついでに受け取りに行った。1万円札以下の現金であれば、どの警察署にでも受け取れるそうだ。

 この1万円は、臨時収入と考えるべきか。なんとなく使いにくくて、とりあえず財布に入れたけれど。これで支払うこと、あるかなあ。

 終わりの見えない閉塞感、それに伴う孤独と、ぼんやりした不安に対して、どのように折り合いをつけて生きていけばよいのか? 眠れない夜に明るくないツイートは控えたほうがよいかしら? これから先の仕事は安定してもらえるだろうか? カタリナの攻撃に硬直が増えたけれど勝てるのか? どうぶつの森で美術品を集めるのにどれくらいの時間がかかるのだろう?

 悩みは尽きないけれど、それらをていねいにすくい上げて、品よく書き綴ってければ、自分にとっても、読んでくださるあなたにとっても、ささやかな気晴らしになるかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えて、今日も1つ塵を積み上げてみる。


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