20/04/25 日記

 めずらしく早起きしたので、タオルなどを洗濯したほか、コインランドリーを駆使して、掛け布団も洗ってしまう。

 近所の小料理店が麻婆丼(小料理店なのに)を売っていたので、テイクアウトで購入。なかなかの味で、ちょっと白米を追加しながら食べてしまった(小料理店なのに)。

 どうぶつの森で、友人がカブを売りきれずに焦っていたので、Twitterを介してフォロワーの島に案内する。そのフォロワーさんと友人とはもちろん面識がないわけだけれど、2人ともWWEファンだという共通点があり、これを機に相互フォローになった。いい話。

 家にいることが増えてきた人のために、家で聴くとよい音楽を紹介する記事を書いている。第5回はHank Mobley『Soul Station』。

 事態が収束したら、結婚相談所にでも行ってみようかと思う。というのは冗談にしても、孤独というものが(もちろん、いままでも「淋しい」と感じたことはあったにしても)、なにか違った重みを持って、自分の毎日の間にのしかかっていることは事実ではある。

 その現象をうまく説明できなくて、「恋人がほしい」と騒いでいるだけではないかと言われると、なかなか反論もできないのだけれど。

 友人の友人(要するに、他人ですね)が離婚して、別れた相手には憎しみしかなかったはずなのに、いざ離れてみると、罪悪感を覚えてしまった、と苦しんだという話を聞いた。

 自分は結婚したことすらないので、離婚する人の感情を理解できるかというと、あやしいのだけれど。おそらく、結婚というものは、幸せになろうとして、することなのだろう。相手と一緒に暮らしたかったり、経済的に楽になるためだったり。もちろん、例外はあるにしても。

 すると、離婚というものも、幸せになるための選択肢には違いない。うまくいかないものを終わらせるのも、気持ちを前に進めるための手段ではある。

 しかし、そのために、過去の自分、相手という人間、何かしらを否定しなければいけないとなれば、苦しい思いにとらわれることもあるのかもしれない。いろいろなものを織り込んで始めたものを終わらせるのは、些細なことであっても、なにかと大変なことになる。それが、離婚ともなれば……。

 離婚して再婚し、いまは理解のある相手と暮らせて幸せ! というエッセイやマンガなどを目にするたびに、自分はいつも、離婚した相手のことが気になってしまう。その人からの目線で書かれたものも、あわせて読んでみたくなる。

 もしかしたら、とても品がない発言かもしれないけれど。ただ、そちらにも、また別の真実があるのだと思う。それに、自分は、どちらかというと、そちら側の人生を歩むことが多かったので。


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