20/05/21 日記

 久々に歯科医に行く。フェイスガードを装着しての診察が大変そうだった。そのフェイスガードも、何度かこちらの顔に当たった。距離感に慣れていないのだろう。とくに文句を言うつもりもない。

 よゐこのゲーム実況といえば、有野が「ゲーム実況が今すごい人気あるらしくて……」と興味なさそうに言い放ち、濱口が「お前はパイオニアみたいなもんやろ」とあきれてツッコんだのが、お互いの性格とほどよい距離感が出ていてよかった。

 フワちゃん、無人島から脱出する番組で、自撮り棒を使って木から果物を落としたり、自撮り棒を釣り竿がわりにして魚を釣ろうとしたりと、自分のキャラを活かしたサバイバル術を披露して以来(それが番組側の指示だったという可能性はあるにせよ)、嫌いになれない。

 自分が差別的な言動をしていたということに気づき、改めるのは、なかなか困難なことだ。まず、認めなければいけないから。「そんなつもりではなかった」ではなく、「気をつけます」と言うことは、過去の誤りを自認することでもある。

 差別をしていた、偏見で誰かを傷つけていたと気付き、間違っていたのだと思い直すことは、とくに、似たような嗜好の人たちと徒党を組みやすい現在のネット社会においては、むずかしいものかもしれない。「間違っていた」と表明することで、自分が属しているコミュニティから爪弾きにされることもあるだろうし。

 しかし、いつまでも、自分が持っている価値観が、スタンダードであり続けるわけがない(そもそも、これも、現在の自分の価値観がスタンダードであるという、無茶な仮定を前提にしている)。

 いずれ後から来た人に、諌められることもあるだろう。あるいは、過去の作品や人物に対して、「その価値観は現在から見ればおかしいけれど、当時は……」という視点を持たなくてはいけないこともある。

 反省し続けること。認識をアップデートすること。「こちらが正解!」と安易に決めつけないこと。他者に対する想像力を保つこと。

 正解のない世界で悩むのはとても面倒なもので、ときどき、強引に決めつけてしまいたくなる。もっとも、そんな勇気もないので、考え続けている。

 それに、やはり、過去の(そして、もしかしたら、現在も)自分は、己の中にある差別と偏見に気付いていなかった。それ自体はどうしようもないことだけれど、そのときの自分を安易に正当化したくないので、やはり、向き合わなくては。

 もちろん、それらを、ウェブ上で一つ一つ数え上げるような真似はしないのだけれど(具体的な話をしないのは卑怯だと言う人もいるでしょう。しかし、自分の行いを不特定多数に公開することが、必ずしも正しいとは思えないので)。


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