家で聴くための音楽、その1:ブラームス『弦楽六重奏曲第1番』
聴きやすく、端正なクラシック
昨今の社会情勢から、家にいることが増えてきた人に、家で聴くと、なにかとよい感じではないかしらと感じる音楽を紹介していく。そんな連載を始めることにしてみる。
初回はクラシック音楽。ブラームスの『弦楽六重奏曲第1番』。
ブラームス27歳の年に作曲され、ヴァイオリン2本、ヴィオラ2本、チェロ2本という編成。クラシックの室内楽でおなじみの弦楽四重奏(ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロ)と比較すると、ヴィオラとチェロが増えたことで、より厚い響きと、陰影の豊かな声部の書き分けが生まれている。
クラシックへの知識があまりなくても、むずかしく考えずに、甘くてロマンティックな旋律を楽しめる作品になっている。とくに第2楽章が、ルイ・マルの『恋人たち』で使われたことは有名だけれども、個人的には第1楽章の網目のように張り巡らされた展開に魅了される。
家で流していても、作業の邪魔にならない空気を作ってくれる。休憩中に耳を傾ければ、この手の音楽に精通しない人でも、心を安らげる瑞々しい旋律をいくつも拾い上げられるはずだ。
ブラームスは形式や技法にこだわった人ではあったけれど、その形式感の中に縮こまるのではなく、それらを自家薬籠中の物とした技量の持ち主でもあった。さまざまなリズムや内声を動かし、そして美しい旋律を散りばめられる天賦の才の持ち主。
彼はありのままをむき出しにしないけれども、かといって、厳格さの中で自分の感情を一切消すこともしない。本質的にはロマンティックな時代の作曲家なのだけれども、同時代の作曲家たちのように、それを大っぴらにすることはしない(できない)人だった。
堅牢な構造と、情熱の発散。孤独な情感と、伝統への志向。相反するものへのせめぎ合い、その対立が、ブラームスの魅力でもある。とはいえ、この曲は、比較的、ストレートな表現で書かれているように思う。
つまり、晦渋にすぎず、聴きやすく、端正であるということ。重厚な響きと、内省的な世界観。「クラシック音楽って、大人が聴くやつでしょう」というイメージを、よい意味で具現化している作品。
「形式美にこだわったブラームスの作品を、作業や仕事の合間に、雰囲気で流し聴きするのか?」と眉をひそめる人もいるかもしれない。その通り、と答えたい。雰囲気で音楽を聴くことを、自分は悪いと思っていない。すこし乱暴な発言を許してもらえれば、雰囲気のよくない音楽を、あえて今の時期に紹介する趣味は持ち合わせていない。
シュトゥットガルト・ソロイスツの録音をおすすめしたい。個々の奏者が過度に情感を込めず、アンサンブルとしてまとまっている演奏で、楽曲に合っている。
以下、思い出話と、Wikipedia的な余談。
「おくれて生まれたもの」
クラシック音楽を知りたかった高校生のとき、当時、田舎に住んでいた自分は、地方都市の小さなレコード店で、ブラームスのCDを2枚買った。1つが『弦楽六重奏曲第1番&第2番』。もう1つが『交響曲第1番』だった。
前者は、ベルリン・フィルハーモニー八重奏団。後者は、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
レコード店の店長は「ブラームスを聴くなら交響曲がよい」と言っていたけれど、当時の自分にとっては、交響曲第1番のやたらとしかつめらしい世界観は、理解できなかった。その理由は後述するけれども、今でもこの曲に関しては、ブラームスが抱えていた重圧を感じて、どうも気楽に聴けない。
一方、弦楽六重奏曲は、親しみやすいメロディーが多く、格調高い雰囲気もあって、気軽に聴けた。自分が憧れていた“クラシック音楽”の世界がそこにある気がして、親しみやすかった。
それも、もう、20年近く前の話になる。
音楽(≒CD)が売れない時代。その小さなレコード店は潰れてしまった。数年前、実家に帰り、病気の母を見舞うついでに訪れたが、建物は空いたままだったのを覚えている。
さて、ブラームスがいた時代、ドイツ、オーストリアの音楽界は、ワーグナーやリストを中心とする新ドイツ学派(ここから、ブルックナー、ヴォルフなどにつながる)と、メンデルスゾーンやシューマンの流れを意識したブラームス周りの2つに、大きく分けられる。
ブラームスと反対側(とされていた)人たち、すなわち19世紀後期のロマン派作曲家のスタイルは、息の長い旋律、表題楽の追求、独創的な和声などを特徴とする。それらは、古典派の形式感、調整による力学とは、相性が必ずしもよいわけではない。
ベートーヴェンを崇拝していたワーグナーは、交響曲第9番をそのジャンルの頂点として、音楽の総合芸術作品として「楽劇」を志向したし(そこでは、音楽は形式にとらわれず、劇の展開によって変わっていく)、リストは形式を重んじる交響曲ではなく、表題を付けた「交響詩」を作曲し続けていた。
一方、ブラームスは学究派の人でもあって、モーツァルトなどの作品の校訂を手がけたほか、当時の音楽学者とも交流があり、おまけに合唱団の指揮でバロック時代の声楽曲にも通じていた。そのような「歴史」を知る人が、ハイドンやモーツァルト、そしてベートーヴェンの流れを強く意識しないはずもない。
そのような状況の中で、しかも、「ワーグナーと対立する陣営」側に(本人の意図はどうあれ)立たされていたブラームスにとって、「ベートーヴェンの後継たる作品」として交響曲を書くことは、重い課題であり、しかし絶対の目標でもあったのは、想像に難くないだろう。
そのようなことを知れば、ブラームスは、時代に遅れて生まれた、悲劇的な芸術家だと思うかもしれない。実際、本人もそのようなことを言っていたらしい。ただ、評論家の吉田秀和は、『LP300選』で以下のように評している。
だが、この「おくれて生まれたもの」というのが、すでに、ロマンティックな芸術観の最も代表的な表れの一つでもある。
ロマン派の時代特有の空気を色濃く吸い込みながら、歴史と形式を誰よりも強く意識した作曲家。ブラームスの作品の中に対立する要素が生まれる理由を、端的に言い表している一文のように思える。
ともかく、ブラームスが最初の交響曲の着想から完成まで21年もかかったのは有名な話だ。交響曲第1番の初演は1876年。43歳のときだった。自分が交響曲第1番を「どうも、重苦しい」と感じるのは、このような経緯で書かれた曲だからかもしれない。
ベートーヴェンが力作を残した弦楽四重奏曲も、ブラームスは40歳まで発表しなかった。そう考えると、弦楽六重奏曲は、気楽に書けたものだろうな、と思うけれど。
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