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家で聴くための音楽、その2:Brian Eno『Ambient 1: Music for Airports』

アンビエントの元祖にして、大名作

 家にいることが増えてきた人に、家で聴くとよい感じではないかしら、と感じる音楽を紹介していく連載。

 第2回はBrian Enoの『Ambient 1: Music for Airports』(1978)。

 環境音楽専門レーベルとして設立した「Ambient」の1作目。今では当たり前のように使われるアンビエント・ミュージックというキーワードのもと、空港の空気を浄化するために音楽を流してはどうかというアイディアから生まれた作品だ。

 一言で言えば、アンビエントの定番中の定番。

 空港で流すためというコンセプトは徹底している。機内アナウンスが入るために、中断可能でなくてはならない(展開を排除しなくてはならない)。人々の会話を妨げないように、異なる周波数でなくてはならない。人が話すパターンとは異なる速度でなくてはならない。そして、空港という環境が生み出すノイズと共存しなくてはならない……。

 その結果、生まれたものは? ピアノや人の声をテープに録音し、複数を同時に演奏させ、緩やかに進行させる。うっすらとトリートメントをかけたような音響。

 「1/1」「2/1」「1/2」「2/2」という4曲からなり、「1/1」ではRobert Wyatが弾くピアノの断片を、スローにして、組み合わせたもの。「1/2」はピアノと声による、雨音が広がっていくような楽曲。一方、「2/1」は歌詞のない歌声をループにしたもので、「2/2」はオルガンのようなシンセサイザーによるドローンというべきか(この曲は、Conny Plankがエンジニアを手がけている)。

 さながら、音による点の「1/1」「1/2」、音による面の「2/1」「2/2」といえるだろうか。点と面が交互に(レコード自体は、A面とB面に1曲ずつ)並んでいるのも、コンセプチュアルといえるかもしれない。

 この均質な音響は、外から聴こえてくる音、部屋の中で立てる音、作業する音、話し声を消さない。それらをかき消さない音楽として、強く意識されないまま、空間に漂う。

 展開のあるイージー・リスニングのようなBGMではなく、継続的なループが可能になっている、ミニマル音楽を極度に引き伸ばしたような、ゆっくりとした音の流れ。空にうかぶ雲の動きを見ているかのよう。淡々としているのに、無味無臭ではなく、どこか奥ゆかしさ、リリカルさがある。英国的といってもよいかもしれない。

 逆に言えば、それでもこの音響に耳を傾けようとするリスナーは、現在いる場所に、どのような音、あるいはノイズがあるかを発見し、自分を取り巻く(ambient)環境を見つめ直すことになる。

 家でこもっているときに、何かを流しておきたい。押し付けがましくなく、何かに没頭しているときは気づかず、一息つきたいときには聴こえてくる音楽を。そのような要求に答えてくれるアルバム。

 まさに、今だからこそ。

すぐれた音楽だから、薦めたいのであって

 この『Music for Airports』を気に入ったら、先駆けること3年、1975年にリリースされた『Discreet Music』も、大いに注目するべきだし、あわせて聴くべき作品。

 A面はテープレコーダーを使用し、2つの両立するメロディーラインのシンセを、異なる持続する時間で録音。それらを再生しつつ、ときどきシンセの音色を変えることで、自動で音楽が生み出され続けるシステムを考案した。これは『Music for Airports』に収録された楽曲と、同じ構成だ。

 B面はあの「パッヘルベルのカノン」を断片化して、テンポやピッチを変えて、それを持続するように再生したもの。いつまでも同じフレーズを繰り返し、少しずつ弦楽器がズレていくように聴こえることで、独特の音響を生み出す。

 意味(メッセージ)を伝える、展開を期待する、というポップミュージックの観念から離れ、意味性を失った音楽を生み出し続ける試み。つまり、これもまた、『Music for Airports』と同じコンセプトによって作られている。

 周囲の環境の変化によって、聴こえたり、聴こえなかったりする音楽。なめらかで均質。それこそアンビエントであり、『Music for Airports』はその元祖にして、きわめて優れた形で具現化しているアルバム。

 そうそう、『Music for Airports』を紹介するとき、よく引き合いに出されるエピソードがある。

 Brain Enoが交通事故で入院中、友人が持ってきた18世紀のハープのレコードを、ベッドの上で聴いていた。しかし、スピーカーの片方のチャンネルからしか音が出てこないうえに、音量自体も小さくて、聴くことが困難だった。しかし、負傷していたイーノは、レコードの音量を上げることができず、そのまま身動きせずにいた。

 すると、小さなレコードの音は、既存の「音楽」としてではなく、周囲の環境音の中で、環境の一部として耳に入ってきた……。

 これは、Brain Enoが「アンビエント」という概念を思いついた有名なエピソードで、たしかに重要な話だろう。

 しかしながら、「このアイディアを実行に移したから」、『Music for Airports』は傑作である、というわけではない。

 そこに詰め込まれた音響が、きわめてコンセプトに忠実で機能的であるのみならず、音楽作品としてすぐれているから、評価されているわけで。だからこそ、あなたがこの音楽を知らないなら、この機会に聴いてほしいと思う。

 たとえば、Miles Davisの『Kind of Blue』が、「モード・ジャズという概念を決定づけた」から名盤なのではなくて(そのように読めるような書き方をしている本やテキストは多いのだけれど……)、そこに収録されているジャズが、あまりにも端正で美しく、抑制の効いたロマンティシズムをにじませているから、皆が耳を傾けるのと同じように。

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