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抑うつ状態の苦しみ、音楽としてのインダストリアル Esplendor Geométrico『Eg1』

仕事中に立てなくなった日

 自分は、「抑うつ状態」になったことはあるが、精神科医の診断では、「うつ病」になったことはないらしい。もしかすると、この見立ては、医師によって変わるものなのかもしれない。客観的な事実として、自分は、抑うつ状態になり、半年近く仕事ができなかった日々がある、ということはいえる。

 今回は、抑うつ状態のときの話を、少しだけ、する。2015年のことだ。自分は横浜DeNAベイスターズを応援しているのだけれど、なぜか、その年は、体調がよくなるにつれて、チーム状況が反比例して悪くなっていったことを、妙に覚えている。

 抑うつ、あるいは、うつ病、といっても、さまざまな症状があり、専門的なことはなにも言えない。あくまで、自分はこうだった、という語り口になってしまうことを、ご容赦いただきたい。

 まず、最初に「おかしいな」と思ったのは、頭が重たい、と感じたときだった。仕事中、いままでとは明らかに違う、奇妙な頭の重さを感じた。処理が追いつかなくて、あふれて重たくなるばかりか、どんどんとこぼれ落ちている、という感じだった。風呂にお湯を張るときに、蛇口を締め忘れたような、といえばよいか。

 しかも、それが、止まらない。起きてから寝るまで、ずっと思考が続いており、すべてが後ろ向きで、悲観的になっている。もともと、自分はネガティブなほうなのだが、それにしても、終わりがない。こんなことを始めてだった。

 たとえば、仕事のメールを送るとき、ほんとうに内容は大丈夫だろうか、間違っていないのだろうかと、何度も何度も確認し、不安で「送信」を押すときに指が震える。送信したあとも、「なにかおかしいところはなかっただろうか?」と気になってしまい、次の行動に移れない。そんな具合だから、自分の言動も、なんだか、妙にテンポを外したものになっていく。

 いわゆるゲームの「処理落ち」を考えれば、わかってもらえるだろうか。いろいろなことが処理できず、動作が緩慢になったように見えてしまうあれが、心の中に起きていた。そして、外側に、徐々に漏れ出していた。

 仕事中ならまだしも、休日のときも、不穏な脳内活動がうごめいている(ひどい日本語だ)。当然、急速が取れないわけだから、集中力は欠け、ケアレスミスは増え続けていく。身体の疲れのせいかと、食事の栄養バランスを気にしたり、整体などに通ってみたりしたが、効果はなかった。

 そんな日々が続いたある日、ついに、自分は仕事中に倒れる(正確には、へなへなと、その場に座り込んでしまった)という失態をおかしてしまい、翌日から、休職ということになった。仕事ができないのは、とても情けなかったけれど、休め、と言ってくれた上司には、感謝している。仕事中に立てなくなるのが、正常であるはずがない。

 実は、休職してしばらくの間、自分は「すぐに治る」と、たかをくくっていた。仕事に行くことさえできないくせに、「これもよい休養」と無理に考え、数日とはいえ旅行をしたり、ぶらぶらと、ほっつき歩いたりしていたのだ。貯金も、そんなになかったのに。そして、医者にかかることも、「なんだかおおげさだ」と、ためらっていた。

 ひどく、間違っていた。

なにもできない、でも、朝をしのぎたい

 症状はますます、悪くなっていった。まず、朝がつらい。手足が鉛のように重いのに、妙な焦燥感はあり、じっとしていられない。しかし、動き回る体力はない。やたらと早く目が覚めるため、寝ていることもできない。

 そんなふうに一日が始まるわけだから、日中は、ほぼ、なにもできるはずがない。夜になると、ようやく、少しだけ、行動力が出てくる。とはいえ、明るく前向きな発想など、まるでないので、ただ、己を嘆くことしかできなかった。

 そんな状態でベッドに入ったところで、すぐに眠れるはずもないことは自明だ。寝返りをうてば、数秒だけ、気持ちがまぎれる。そこで、寝返りをうつ。苦しくなる。寝返りをうつ。ずどんと頭が重い。寝返りをうつ。そわそわして、胸が押し潰される。「自殺」という考えさえ、わかないのだ。ただ、色のない、重たく暗い世界が、部屋の中にある。

 さすがに「おかしい」と感じ、鉛のようになってしまった四肢を引きずって、メンタルクリニックに行くようになった。そこで抗うつ薬や睡眠導入剤などを処方され、自分はようやく、己の精神状態と向き合い、寛解へめざす道を歩むことになる。回復してきたときは、この悪い思考の渦巻きが、少し体力の戻ってきた身体の中でくすぶったために、より辛くなったものだけれど。これは、また別の話。

 日内変動も苦しかった。一日における気分の変動のことで、抑うつ状態の場合、朝に調子が悪く、夜になってよくなってくる人が多いらしい。自分もそうだった。当時、Twitterで、「夜に、暗い内容のツイートが多くて、心配です」と言われたことがあった。その指摘は、ちょっと違っている。夜のほうが、暗いことを文章にして整理する余裕があるだけ、マシなのだ。傍目から見れば、ぜったいに、そうは思えなかっただろうけれど。

 朝は、なにも、なにもできなかった。「なにもできない」が人生の中にあるのだ、ということを、むごたらしいほどに味わうはめになった。

 睡眠導入剤を飲み、「起きたら、この苦しみが、なくなっていますように」と、なんとか念じてみる。しかし、現実は非情である。起きると、絶望さえできない朝がある。はてしない虚無の中に、悪い思考だけが渦巻いて、身体がバキバキになり、ほんとうに形容しがたい苦しみに襲われる。酒に弱い自分は、ときどき酔いつぶれて、二日酔いを経験するが、どんなにひどいときだって、あの抑うつと比べれば、はるかにマシといえる。

 とにかく、朝をしのぎたかった。

 そうそう、日光を浴びるとよい、というアドバイスを聞いた自分は、とても間抜けな方法で実践していた。目が覚めたとき、凍りついたようになっている全身の力を振り絞り、ベッドから転げ落ちる。そのまま窓のほうに這っていき、カーテンを開けて、じっと朝日を浴びていたのだ。「もしかしたら、これで、ちょっとだけよくなるかもしれない」と、わずかに念じながら。わらにもすがる思いだったけれど、あれは、効果があったのかしら。

 余談ながら、自分のケースと、病状が似ているだけでなく、抑うつ状態の苦しみが過不足なく書かれていて、なおかつ読みやすいと感じた書籍に、プロ棋士である先崎学の『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』がある。淡々とした筆致で、うつ病になった経緯、闘病の過程、そこからの脱出が書かれた、すぐれたものだ。

 とにかく、休職中の数ヵ月は、死んだも同然。洗濯機に、衣服を入れる。これだけのことを、決意して、行動に移し、完了するまでに、30分以上かかったこともあった。これでも、行動できているだけ、立派なものだけれど。

大好きだった音楽が聴けなくなった

 もっともショックだったのは、音楽が聴けなくなったことだ。いや、流すことは、できた。自分の中に入ってこなくなった、といえば、もっと正確だろうか。以前は、色鮮やかに聴き分けられた、さまざまな音たちが、まるで意味のない空気の振動にしか、聴こえない。

 自分を支えてきてくれた歌詞が、自分の胸を震わせたメロディーが、まるで、わからないのだ。水の中に、絵の具を一滴でも垂らすと、その色がふわっと広がっていく。ところが、泥水の場合はどうだろう。絵の具を入れても、濁った液体の中では、まるでわからない。それに似ていた。どんな色の音でも、判断ができない。心の奥に入っていかない。

 この事実は、残酷なほど、自分を叩きのめした。趣味であり、生きがいであり、人よりもすぐれているとは言えないまでにしても、引け目を感じないぐらい、知識があると考えていたものが、失われた。なぜ生きているのか、という、それまでも見えてこなった問いが、いきなり提示されたようなものだ。生きていくことの中にあった大きな幸福を、感じなくなってしまった。

 こんなときに、たとえば、ベートーヴェンの旋律だとか、ミシェル・ペトルチアーニの打鍵だとかが、心の救いになり、急速に快復に向かっていった……と書ければ、ドラマティックなのだけれど。そんなに、うまくいくはずもない。

 しかし、音楽の神は、こちらを見捨てたわけではなかったらしい。自分が抑うつ状態のとき、意外なかたちで助けになったのが、インダストリアル、あるいは、ノイズと呼ばれているような音楽たちだった。

 音楽ジャンルとしての「インダストリアル」、「ノイズ」というものは、チャートをにぎわせるほどポピュラーになったことはないが、しかし、奥が深く、愛好者はけっして少なくない。そもそも、この2つの用語を同列に語ることも、自分の中にはためらいがあるぐらい、違うものだということは、一応、理解しているつもりだ。

 逆説的だが、壮絶な機械音やノイズの中には、俳諧の世界に通じるものさえ見いだせる。門外漢からすれば、すべて似たようなものにしか感じられないかもしれないが、その限定された宇宙の中には、実にさまざまな表情と、個性の違いが、あるものだ。

 『うつヌケ』を描いた田中圭一は、抑うつ状態がひどかったとき、色の認識能力が落ちてしまって、どんなものも灰色に感じられるようになってしまった時期があるという。その結果、無意識に派手なものを買うようになり、「ショッキングピンクのリュック」や「ライムグリーンのクルマ」などが、身の回りに並んだのだそうだ。

 自分の場合も、それまで好きだった、やさしく、穏やかな音楽が、「音楽」として聴こえず、ショックを受けた。「音楽を聴く」という行為を実感できるのは、極端な音響だった。つまり、インダストリアルや、ノイズ。騒音のような派手なショックを浴びると、「音楽を聴くという行為を、自発的に実践できる」という実感が、ようやく、得られた。これが、無常の慰めになった。

インダストリアルの刺激という手段

 抑うつ状態のときの自分にも、根気よく接してくれた友人がいるのだけれど、その人は「あいつはノイズばかり聴くようになって、おかしくなってしまった」と、危惧していたらしい。

 確かに、当時の自分は、おかしかった。しかし、詳しくない人からすれば、雑音にしか思えないようなサウンドを聴くことが、生きている、心は死んでいない、と、自分自身に納得させる方法でもあった。

 率直に言えば、当時のことは、思い出したくもないほど、つらい。苦しかった精神状態はもちろんのこと、そこから這い上がろうと、もがき苦しむ過程で、多くの人に迷惑をかけたという情けなさも相まって、ひたすら、地獄のような記憶としてよみがえってくるからだ。

 その記憶が苦しくて、むしろ、最近は聴かなくなってしまった、Esplendor Geométricoというバンドがいる。先に言っておくが、悪いのは、彼らではない。自分の不甲斐なさである。

 Esplendor Geométricoは、スペインのインダストリアルバンドで、1980年代初頭から活動している。奇怪に歪めた電子音と金属音を組み合わせた荒々しい初期の作風から、1990年代には、アラブ音楽を取り入れた音楽性へと変化していく(そして、また、荒々しい機械音を取り戻した。いまも現役だ)、その歩みは、ちょっと不思議かもしれない。

 彼らの音楽性を、「腐食ノイズ」と評した文章を見て(この表現は、ほかのグループなどにも使われているようだけれど)、なるほど、と思ったことがある。サイバーパンクの世界で、重金属の都市に降り注ぐ強い酸性雨のように、硬質なものが、融け、腐食していくような音なのだ。擬音でいうと、「シャー」「ザー」とかではなくて、「ジュッ」「ジャー」という具合。

 エレクトロニカ以降のリスナーの耳から聴くなら、とくに初期作品集『Eg1』は、非常に興味深く聴こえるだろう。単調でありながら刺激的な電子音の反復は、ときにダンサンブルにも響く。「そう聴けば、そう聴こえる」の範疇かもしれないし、そして、もう何度も言われ尽くしたことだろうけれど、オウテカやエイフェックス・ツインなどを先取りしたようなトラックが、いくつもある。

 抑うつ状態のときに、これらの音楽が、自分の心の中にきらきらと輝いて、音の歓びとして、純粋に耳に飛び込んできた……と書けるのであれば、どんなによいことだろう。残念ながら、そうではなかった。

 精神面が追い込まれたときには、初めて聴いたときとは比べ物にならないほど、耳障りに思えることもあった。ファンには申し訳ないが、大好きな音楽、というわけでは、なかったと思う。

 それでも、なにか、音楽というものに触れることで、少しでも自分の世界を取り戻そうとした、その行為のための手段として、インダストリアルが機能したことは、確かなことなのだろう。

(抑うつ状態のときのことは、最近、ようやく、まとめられるようになってきた。むしろ、いま、思い出したくないのは、心の中に溜まったどす黒いモヤモヤが、自分の中で処理できずに、外にあふれ出してしまった、回復期のことだ。そのときを責められたら、さすがに返す言葉もない。いつか、読みやすい形で、書ければと思ってはいるものの……)


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