20/04/20 日記

 過去に「さすがに、ちょっとそれは……」と思うぐらいのことを自分にしてきた人が、いい話系のツイートでバズっていた。器が小さいので、「でもこの人、自分にあんなことをしてきたんだよな……」という気分になってしまった。

 Twitterを眺めるのがつらくなってきた。SNSを、ネットを見るのが、キツいというか苦しい。危機感がないと言われれば、それまでなのかもしれないけれど。

 誰も幸せにならないようないがみ合いが多い。それが目に飛び込んでくるのを避け続けるのはむずかしい。

 0か100か、みたいな発言で煽り合ってもよいことはない。51:49で生活を取る人もいれば、8割は政権に否定的な人が、2割のよいところを褒めることもあるはずだ。老人と若者の対立だって、無理やり作り出すものではない。

 「あれを、よく/悪く言わないなんて!」と怒っている人は、とても乱暴な言い方だけれど、他者に対する想像力が足りないのではないか? 各々には生きている立場があり、環境がある。しかし、ネットにおいては、極端な意見のほうが拡散されやすい面もあって。

 ほんとうに嫌になってしまったのは、死者数を競う(あえてこのような表現にする)ような意見が見えてきたことだ。あちらは多いとかこちらは少ないとか、日本の死者数があの国を上回ったぞとか、そういう計算を始める人が出てきている。

 たとえば、「日本はこのままだと欧米諸国のようになる」というのは、危機感なのか、願望なのか。前者ならばともかく、後者の考えを持っている人は、いないですよね?

 自分だって、日本はすばらしい、それに比べて海外の対応は、などと偉そうに言うつもりもなければ(それで何が救われるのだろう?)、台湾や韓国の対応に舌を巻く反面で、そのやり方が日本にも適用できると安直に主張するつもりもないのです。

 犠牲者が少ないことを称賛するとか、多くなってしまったことの原因を探すとか、そういう意見は、まだわかる。しかし、感染症の犠牲になった人の数で、マウントを取るような人と、何を話せばよいのだろう。

 この状況で日々の生活を前向きに変えていこうとしている人はいる。そういう姿勢には共感するけれども、その中で、「チャンス」という表現を使ってよいかどうかは、自分の中に、まだためらいがある。

 これを機に売名したり悪どい儲け方をしたりしようとする人たちに関しては? 忘れない。話題に出すこともしないし、声高に罵ったりもしない。ただ、忘れてなんかやらない。


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