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「響木アオ失踪事件」をビートルズで説明する

VTuberの響木アオが「失踪した」という事件が少し前にありました。結局それは、新モデルと新曲のプロモーションであって、失踪から3日後に無事戻ってきたのですが、本気で心配していたファンは多かったようで、復帰を喜びつつも、多少荒れている雰囲気がありました。

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上の画像のように、チャンネルの動画のサムネイルが、最後の動画以外真っ白になっていたのが、非常に印象的だったのですが、それを見ながら私は、「これはビートルズで説明できるやつだ」と思っていました。この文章はそのネタで、ビートルズの後期の歴史と重ねつつ、私の意見を書くもので、まじめな情報を得たい場合は下記の記事などを見て頂くのがよいと思います。

ビートルズとは

ビートルズとは、1960年代から1970年にかけて活動していたバンドで、商業的に史上最高に成功したバンドであり、音楽的にも今のポピュラー音楽やロックの源流の一つと言えます。

音楽をやる人にとって、ビートルズは必修科目でしたが、いつしか、ビートルズを通ってない人も増えてきました。そんなミュージシャンがビートルズを聞くと、「なんだ、ビートルズが全部やってしまってるじゃないか」と気づくそうです。

音楽性だけでなく、世界的人気のアイドルバンドでもあり、アーティストとファンとの関係性について先駆者の部分がありました。

ホワイトアルバム

ホワイトアルバムは、ビートルズの10作目(サントラを除けば最後から3作目)のアルバムである「The BEATLES」の通称です。アルバムジャケットが真っ白であることから、こう呼ばれています。

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ビートルズの活動時期を三期に分けて、このアルバムから後期と呼ばれます。この1年半後に事実上解散するのですが、主な原因は、この次のアルバムのために行われた、レコーディング風景を映画にするという「ゲットバック・セッション」のせいでした。でも、ホワイトアルバムの時期からすでに仲が悪くて解散寸前だったという説や、いや、まだ仲は良かったという説があり、いまだに新しい証言が出てきたりして、「諸説ある」状態です。

型破りな真っ白なアルバムジャケットは、「心機一転で再スタートする」という意味にも、「もう終わりだからまっさらにする」という意味にも取れます。また後にも書く「ポール死亡説」の根拠にもされていました。

響木アオのチャンネルの、真っ白になったサムネイルを見て、心機一転で新しく始めるするという意味だなと僕は思ったし、そう解釈している人は多くいましたが、「不吉だ、不安だ」と思っている人も多かったようですね。感じ方はいろいろだなと思いました。ビートルズの頃から変わってません。

アビイ・ロード

アビイ・ロードは、ビートルズの12作目(最後から2作目)のアルバムです。これを作ったときには、ビートルズの解散はほぼ既定路線で、「最後に1枚だけ作ろう」という気持ちで作られたものですが、そんな状態にも関わらず、最高傑作と言われているのが皮肉なところです。

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この横断歩道を歩く4人のジャケットは、世界一有名なアルバムジャケットとも言われますが、これは当時まことしやかに言われていた「ポール死亡説」の根拠にされていました。以下Wikipeidiaから引用。

『アビイ・ロード』のジャケット写真においてメンバー4人のうちポールが1人だけ目をつぶっているように見えて、更に裸足であり、左利きなのにタバコを右手に持っている。路上に駐められたフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」であるのが「もし(IF)ポールが生きていれば28歳」。白いスーツで長髪にひげを蓄えているジョン・レノンは「牧師」、黒いスーツを着ているリンゴ・スターは「葬儀屋」、スーツ姿で目をつぶって裸足のポール・マッカートニーは「死人」、デニムシャツにジーンズ姿のジョージ・ハリスンは「墓堀人」などと解釈され、いわゆる「ポール死亡説」の根拠の一部になった。

インターネット時代にはフェイクニュースが問題になっていますが。昔からこういう都市伝説はあるんですね。そんなわけないやろと思うのですが、心配するファン心理によって、信じてしまうものなのかもしれない。

響木アオちゃんについて言えば、サムネイルをすべて白くしたり、謎めいた動画や暗号を投下したりなど、とても手間をかけているし、それぞれのメッセージを素直に受け取れば「再出発する」という意味に取れるはずです。やりかたはやや悪趣味かもしれないが、そもそも響木アオちゃんとそのチームは、「魔法の鏡号」とかいう、どこかで聞いたような車を使った企画とか、悪ふざけをよくやっているので、これも悪ふざけの一環だろうと思ってました。行儀が悪いことでも面白いと思えばやってしまう、ロックンロールの精神で、ビートルズもよくやっていました。でもファン心理としては心配なので、悪い方向に受け取ってしまうところがあるのでしょう。

レット・イット・ビー

レット・イット・ビーはビートルズの13枚目のアルバム(最後の1作)です。アビイ・ロード以前に録音されたものと、解散後に追加で録音されたものから成り立っています。

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タイトル曲の「レット・イット・ビー」は誰でも知っている名曲ですね。「レット・イット・ビー」という言葉は、解散危機でポールが悩んでいたときに、夢に出てきた亡き母メアリーが語ったそうです。また、聖書にある聖母マリアの言葉でもあり、ポールはどちらで解釈してもいいと言っています。

意味は「あるがままに」です。苦境に立った時、暗闇の中で迷う時、あるがままに受け入れれば答えが見つかる、という歌詞。「嫌だ、苦しい」という気持ちで固まっていると、そこから抜け出せないけれど、そういうものだと受け入れてしまえば、実はそんなに意固地になる必要は無かったのでは、など見え方が変わってくることはあるものです。

響木アオちゃんが復帰したとき、それを喜びつつも、「運営はちゃんと説明しろ」という意見を散見したのですが、僕の個人的な考えは、それとはちょっと違うなと。VTuberと運営は一体のもので、運営だけに責任があるとは言えないし(そうじゃないとVTuberがただのお飾りになってしまう)、基本的に僕らはVTuberの「あるがまま」を受け入れるしかないのではないか。

これは「全肯定」とは少し違います。批判する権利はあるでしょう。でも「こうするべきだ」と要求する権利までは無いのでは。僕らはVTuberのありかたを変えることはできなくて、結局はそのVTuberのあるがまま、"Let It Be"を受け入れるしかない。受け入れることで見えるものがあるはずで、感じ方も変わってくるはず。忘れないようにしたいと自戒を込めて思っていることです。

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