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パーソナルな愛 「星を編む」感想

おはようございます。今日は多分地元のフェスに遊びに行きます。多分。

さて、先日凪良ゆうさん著の「星を編む」という小説を読了致しました。
こちらの作品は、「汝、星のごとく」という小説の後日譚にあたる物で、櫂の担当編集者2人の奮闘劇や、暁美と北原先生のその後が丁寧に描かれています。

私と凪良ゆうさんの出会いは「汝、星のごとく」なんですけど、そもそもは美麗すぎる表紙に惹かれたことがきっかけでした。

藍色の宝石が青紫や群青の世界に静かに佇んでいて、ミステリアスに煌めいている写真なんですけど、本当に美しかったです。初めて見た時かなり衝撃を受けましたね。

そしてここからが「星を編む」を読んだ感想なんですけど、とにかく「愛とは何か」という哲学的なテーマについて考えさせられます。

この小説の場合だと、「女として好き」と「人として好き」が別物として描かれている感じがしました。私の場合は「人として好き」な人に対して「女を見せる」ことを許す、という表現が適切なんですけど、これって周りはそんな事ないのかな…?とか少しモヤモヤしたりもしましたね。
私自身が周りと比較することで自己を見出す考え方をしてしまう事と、恋愛関係の悩みが最近絶えない(くわしくは過去note)故、読んでいて苦悩する小説でもあったと言えます。

しかしそんな私の心を見透かすかのように、主人公・暁美のあるセリフが飛んできます。
「恋愛は限りなくパーソナル」という暁美が発したこの言葉、恋愛の形について悩んでいた私に対して一喝するかのような威力がありました。そもそも人と比べるものでもないんだぞ、と。

前にも同じこと言いましたが、小説はすごいです。何を読んでも自身の課題や闇について光が差すような、道標となる言葉や考え方が出てくるので。

辛い時は小説を読めば大丈夫!と心に言い聞かせ、病んでしまった時は決まって小説の力を頼ります。薬やアルコール、ゲームなんかに依存するよりよっぽど健康的だし、自分のためになりますしね。

久しぶりのnote更新となってしまいました。日記として見せられるような内容ならnote、見せたくなければ日記帳、と使い分けているのですが、最近は悩みの種を日記帳に記しまくっていて全くnoteに手をつけていませんでした。頑張って更新したいと思います。

そして私はフェスに行く準備をする(多分)ので、今回のnoteはここまでにしようと思います!!では…!


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