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自分と他人の境目

私は運転が大好きなんだけど
同じくらい、恐れてもいる。



それは、今までに何回か起こった
もらい事故のトラウマかも知れないし



他の人が抱えている運転の恐怖まで
一緒になって感じているからかも知れない。



運転が怖い人の周りには
同じように恐怖を感じる人
大切な人をそれによって失った人たちが集まる。



集合意識で、みんなで
癒していくのかな〜と思う。




もう一つ、私が運転が怖い理由は
人の心が理解できないことだ。



どうして煽り運転をするのか
なぜそんな危ない走り方をするのか



赤なのに平然とそのまま進んだり
直進レーンにいた車が
無理やり左折してきたり



非難するとか以前に
まず、その思考回路が
理解できないのだ。



運転って、顔を見て話す時以上に
そういった内側の諸々を
如実に表す気がする。




昨日は、早めに目的地に到着したので
車の中でゲームをやっていた。



5分ほど経った頃
体が上下に揺れる衝撃で我に返った。



地震?と思って、周囲を見渡したけど
辺りは静かな住宅街のまま。



後ろを見ると
白い車が私の車にぶつかっていた。



びっくりして飛び出した。




この時も、怒るとか以前に




どうしてこんな静かな住宅街で、
駐車スペースもたくさんある中で
この女性が私の車に衝突してきたのかが



完全に意味不明だった。



白い車の女性は車から出てきて
こう言った。



「確かにちょっとぶつかったけど
あなたの車、大丈夫よ」



・・・・は?



「ごめんなさい」は?
どの思考回路が、その言葉を紡ぎ出すの?



女性は重ねて




「この横の家には、介護が必要な老人が住んでるの。
あなたがもうちょっと前に止めてくれたら
搬入がしやすくなるから、前に動いてくれる?」



と言った。



信じられなかった。
怒りでどうにかなりそうだった。



彼女は私が怒っていることは
もちろん察していたので
これ以上逆撫でしないよう、
穏やかな口調で上記のことを言っている。



私は言葉では罵らず・・というより
そもそも言葉での罵り方を知らなかったのでw



目とエネルギーで怒りを伝え
車を別の場所に移動した。



(車が大丈夫なのは分かっていたしね)



こんなキチガイじみたドライバーが
老人介護をしていることも信じられなかったし




この場所から
一刻も早く立ち去りたかった。




その時、学校のベルが鳴り
息子が出てきた。



早くこの怒りを収めたかったけど
今起こったばかりのことで
どうにもできなくて



息子は私の様子がおかしいことに
すぐ気がついた。



私は、今起こったことを
全て話してこう言った。



「マミーが怒ってるのは
車をぶつけられたことじゃないの。

その人が、ごめんなさいって
言わなかったからなの。

ごめんね、まだちょっと
気持ちの整理ができないんだ。
どうして、地球ってこうなの?」



とぼやいていると、息子は



「普通だよ」



とさらっと言った。



「普通だよ。マミーが怒ってるのは
とても普通のことなんだ。

悪い人がいるのも普通だし、
そんな風にしか人に接することができない人も
大人なのにね、いるんだよ。

それも、普通なんだ」




息子は本当に
覚者だと思う。



どうして?と分析をする前に
まずは現状を
ありのまま受け止めることが大事なのか。




毎年、誕生日が近くなると
こんな風に嫌な体験をすることが多い。



年を重ねてエネルギーが切り替わる前に
魂の大掃除をするかのように



怒りを掻き立てられたり
エゴまみれな人のエネルギーを
まともに受けたり



でもそれも、私の一部、
集合意識でみんなで持っているものなんだ。




だから、
受けた私が処理する。



ひどい人だ!と外側を見て
責め立ててる限り



自分ごととして捉えない限り、
私はそれに対して何もすることが
できないから。



自分と他人の境界線が
こんなにもハッキリしてる地球だからこそ
できる学び




これは、3次元にいるからクリアできる
集合意識にこびりついた
汚れのようなものなのかもしれない。


(良い悪いじゃなくてね)




被害者にならず





他人の中に見る "間違った” 行いも
それを受けて自然に出てくる
自分の正直な感情も、




どれだけ一つ(全体)のこととして
愛を持って受け止められるか。



きっと、そんな訓練を
受けているんだと思う。




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