見出し画像

自分と人のために色鮮やかな世界を見続ける

ヨーロッパ旅に早く行きたい。そして絶対に、感覚で好きだ!と思った場所の絵を描く。私は色が本当に好きです。この世に色があってくれて心から良かったと思います。その色で自分の感覚や思想、精神世界を形にしたい。上手い下手は関係なく形にしたいのです。自分の目に映る世界が色褪せて見えた瞬間に憂鬱な気分になってしまう。窮屈さが自分の心に侵入するとそうなる。自分は自由に生きないと死んでしまうのだと、やっと心から分かりました。自分の世界が色鮮やかに見えるようにどんどん楽しく自由に生きます。
そして自由家として笑 もっと楽しめて、完全なる自給自足ができるようになってからです。困ってる人のために全力で動くのは。まず自分のために、自分が楽しく、自由に生きること。私はそうなる前に人のことを救いたいと思ってしまっていました。政治に怒り、困ってる人を助けることや、これからの未来を良くしようと真剣に考えない日本人たちに怒って、1人だけで何もできずに心と頭を消耗していました。自分がまず心から楽しく生きられていなかったのに。自分の心も救うことができていなかったのに。私は人と自分との境界線があまりない性格なので、共感があまりに深すぎるのです。

例えば、緊急事態宣言が出された時にこの状況で働いている医療従事者の方々などのことを思ったとき、患者さんに対応している姿が自然と浮かびます。
「当然休みも少なくなるだろう、一人一人の休憩もいつもよりもっと短くなってしまったりするかもしれない。コロナウイルスに関係ないと思われる科で働いていたとしても影響はかなり大きいだろう。これから患者さんはさらに増え続けて、ベット数も少なくなって医療崩壊が起きて、医療従事者の方達はさらに休めなくなってしまう…政府は何か対策はやっているのか!?」と瞬時に考えてしまいます。
また、「シングルマザーで働いておられる方々は大丈夫かな、周りに頼れる人がいなくて、お子さんを預ける場所も確保できていない方達はどうなるのだろう。働けなくなると生活できなくなる。余裕がなくなると、そういった時に役に立つ制度も思いつかないことが多いと思う。自分を追い詰めてなんとか働こうと頑張ってしまって、さらに状況が悪くなってしまわないだろうか…」と、目の前には存在しないが、きっと近い状況にある人のことを、ここまで考えてしまいます。その他には飲食業の方、ライブハウスで働いている方、セックスワーカーの方々の状況のことなども考えてしまいます。
知りもしない、目の前にもいない人間のことをここまで考えて馬鹿ではないかと思う方もいらっしゃるかも知れないですが、頭で考えているというより、困っている状況の方の心を感じてしまうのです。
自分も余裕のある状況ではないし、1人で勝手に疲れていることも分かっていながらもそういった感覚ばかりがどんどん膨らんで行ってしまい、気付けば精神は崩壊していました。


人を救おうとする前にまず自分を救う。共感力が高まりすぎたせいで、この当たり前のことがいつの間にかできていませんでした。この誰も味わったことのない状況で、自分の鋭すぎる感受性をコントロールできなくなっていました。
自分が心から自由に、心地よく人生を送れるようになってから、人を救う。
もしくは自分がそうなっていくにつれ、いつの間にか多くの人の心を救っていることになるかもしれない。そうなれることを信じています。他の方々の文章のように、形式的に、わかりやすく、「ちゃんと」「きちんと」表現はできていないかも知れないですが、これからも自由に心地よく生きられるように素直に心のままに、自分ができる表現をして行きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?