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第8回ザロモン室内管弦楽団定期演奏会

“Sic Transit Gloria Mundi”(かく世の栄光はうつろいゆく)。岡田龍之介さんのチェンバロに書かれた格言。下のチラシに写る顔写真は森川郁子さん。

 ルイ・シュポーア(1784~1859)の「マトローゼ」序曲からはじまり、いまやザロモン室内管弦楽団の十八番になったハイドン(1732~1809)から、「交響曲第100番「軍隊」を抑え、フェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)の「真夏の夜の夢」序曲で華々しく前半を終える。そして、後半をたっぷり本間貞史(1948~ )の音詩「秋に寄せて-日本の歌による4章」にあてると云う流れは一見作曲家と題名をたどると、春夏秋の季節の流れと古典派からロマン派への発展がたどられているようでわかりやすい。しかし、前半から後半のプログラムへの接続には時代と地域以上の断絶がある。岡田さん指揮する楽団はその断絶を命がけで跳躍してみせたのだ。
 シュポーアは生前、ハイドンに師事し、ベートーヴェンの第7交響曲にも馳せ参じた当時指折りのヴァイオリニストだ。ただし、プログラムの解説を担当した久保田慶一さんは案内文のなかで、俊英フェリックスへの恨み節を引用している。

あ
シュポーアの肖像画

 フェリックスの慫慂でJ.S.バッハが務めていたライプツィヒにあるトーマス教会のカントールの地位を襲ったモーリツ・ハウプトマン(1792~1868)に対して、古希まぢかのドイツ生まれの作曲家は1853年にあてられた手紙で、あけすけに、夭折して久しいフェリックスにむけて、そしてかれと親交のあったハウプトマンにも、苦言を呈している。いわく「人々が今日の音楽についてとやかく言っている、あのバカ騒ぎな音楽を、ハイドンやモーツァルトが聴けば、きっと顔をしかめるだろうに。私も最後にこう言っておこう。メンデルスゾーンは若い頃からバッハね音楽を食い物にしたばかりか、ときに堅苦しい和声や吐き気を催すようなぎこちない音楽を作曲してきた。今日シューマンが成し遂げたことに比べれば、まったく取るに足らない。」と。

ハウプトマンの写真


 ここから、バッハからシューマンにいたるドイツ音楽の精髄を知悉し、正統に受け継ぐべきは自分に他ならない、と云う狷介で固陋な性分を認め、かれの名声を忘却の彼方へと押しやるのはあまりにもたやすい。フェリックスが先んじてマタイ受難曲を復活させてしまったことも嫉視に拍車をかけたに違いない。しかし、今日の指揮者は、時代をさかのぼることで、ことなる文脈のありかを問い直す。
 1836年に作曲された序曲から世紀をひとつ戻った、1790年代にイギリスで作曲され、初演もされて喝采をさらったハイドンの交響曲群のうち、「軍隊」と愛称される曲を選んだ点に注目したい。第二楽章は、既存の曲にトランペットとトライアングルをはじめとする打楽器を挿入することで、トルコを想起させる勇猛な軍楽へと生まれ変わり、当時フランス革命の燎原の火のような勢いに対抗する対仏同盟に参与していたイギリス人たちを大いに鼓舞した史実は、この場この時で演奏されたプログラムの意義を解釈する際には重要ではない。すなわち、トランペットのファンファーレは、特定の国民などではなく、音楽を解さず、握りつぶそうとさえする「蛮族」一般に向けての実に象徴的な宣戦布告なのである。

ハイドンの肖像画(1791)


 そこからまた時代は19世紀に勇躍する。1842年にフェリックスがわずか17歳で作曲してみせた、「夏の夜の夢」のなんと偉大なことだろう。ここには周到で老練な作曲技法などではなく、シェイクスピアが活写した森の奥で妖精にあやつられる恋人たちの浮き沈みや、村人たちの拙い劇といった、多彩で闊達な雰囲気が満ち満ちている。モーツァルトの精神がたしかに伝わっている。

わがメンデルスゾーン!

 さて、問題はプログラムの後半である。なぜ存命の日本の作曲家の曲で掉尾をかざったのか。本作は1976年、28歳の本間が栃木のアマチュア・オーケストラ、小山交響楽団からの委嘱で作曲され、同年、作曲家自らタクトが執られた。だが、2018年までオリジナルの楽譜が紛失していたようだ。見出されたスコアをさらに、50年来師事してきた岡田さんが監修し、亀山統一によって2管編成に校訂された。第1章「荒城の月(Grave)」、第2章「むかしの光いまいずこ」、第3章「虫の声(Vivace)」、そして第4章の「赤とんぼ」と、近代唱歌の名曲が居並ぶ。しかし、作曲家は手垢にまみれたノスタルジーに堕することなく、個々の曲を分析し、多様に変奏し、そして悠揚せまらぬテンポによって、洗練さを維持しつづける。高度に実験的でいて、なおも「起源」をとらえかえす、実に勇敢な試みなのだ。
 通例は合唱を経て、壮大な終結部を迎える第4章は、ソプラノの森川郁子さんの双肩に託された。なじみぶかい赤とんぼのメロディーをたどろうとするたび、まるでもっと奥の森のなかへといざなわれるように、変奏は多彩につづき、ついに完全なメロディーを聴き終えたあとには、まったく新たな地平がひろがっている。ソリストの歌声は澄みきった清水のように妙なる響きと、遅すぎず早すぎない適切なテンポで塵埃から超然とした雰囲気を場内に展開する。
 岡田さんは、本間貞史のこの初期作を書きあげる前からすでに知己であり、半世紀を経て再演をはたしたのだ。ここには単なる長きに亘る師弟関係にとどまらず、はからずも曲の構成によって、日本近代音楽と云う大海へと合流し、すでに前半の演奏を通じて渡海したドイツ音楽の文脈の体験とも相通じている。もはや、誰が正統かをめぐる不毛な跡目争いの影も形もあるまい。聴衆の寡多も問題ではない。文脈の自由がしかと実現したことを、この耳で聴き遂げることができたのだから。
 アンコールは赤とんぼをソリストが再唱した。「山の畑の桑の実を小篭に摘んだはまぼろしか」の「まぼろしか」と問いかける直前ごろからコンサートマスターがつづき、そしてあのフランボイヤントな終結部がくりかえされる。否、まぼろしなどではない!
 3章を聴いたあたりから涙がこぼれ、解釈は独り歩き(?)し、もはや作者や演奏者の意図から遠く離れたところまで行きついてしまった。この文章を書くのに熱中しすぎて、あやうく手袋を椅子下に忘れそうだったが、楽団員さんたちの尽力で発見し、その後2度電車を乗り間違え、行き先をあやまり、どうにか帰路をすすんでいる。

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