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「乱世備忘」から「Blue Island 憂鬱之島」へ:「いま・ここ」から歴史の海へと合流する

 陳梓桓(CHAN Tze Woon)「Blue Island 憂鬱之島」を観た。「乱世備忘」のころの、デモのライヴ映像の乱造から脱皮した、建設的な作品が実現した。半世紀の来し方を、世代間の溝を埋めるように、当事者たちが内省的に対話を重ねながら映画を制作していく(dialogue in progress)姿勢に感銘を受けた。

 いま必要なのは「挫折」と距離をおき、歴史と国際関係を見つめ直して、100年先をおぼろげにでも見据えることだ。劇中では67暴動、文化大革命、天安門事件といった香港で(も)起きた過去の政治運動が、生き証人たちによって雨傘運動と反送中運動と頻繁に入れ代わり立ち代わりオーヴァーラップされる。

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 文化大革命中に妻と大陸から泳いで香港へと亡命したある男性は、いまも矍鑠として筋骨隆々、長雨と荒波にもひるむことなく淡々と遊泳する。ある者は溺れ死に、ある者は陸についた。

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 冒頭の蒼く鬱屈した建物は、牢獄であることが明かされる。かつて67暴動で逮捕された70代の老翁と、雨傘運動のかどでまもなく判決がくだされる若者とが、獄中で膝をつきあわせて話しあう。逮捕が人生の終わりではない。ましてや、革命の灯は一日(いちじつ)で消せるものではない。
 本作は香港の推理小説作家、陳浩基の『19・67』の香港史のターニングポイントを遡って警察のあり方を問うた試みにならっている。市民たちがいかにその時々において闘い、抗い、そして敗れたか。歴史は教科書に漫然と記述されるものではなく、ある共同体によって創られていくものだ。


■参考資料
抑圧のなかで、時代を超えた「香港人の物語」を撮る:映画『Blue Island 憂鬱之島』チャン・ジーウン監督インタビュー


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