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タバコと口紅(第二話)

第二話

今日も平凡な生活が始まる。
どんなにどす黒い感情も鮮やかに照らしてくれそうなほどの快晴。これぞ休日だ。
目覚ましを止め、テレビをつけて起き上がる。

「天気は晴れで、最高気温は…」とテレビから流れる天気予報を横目に、朝食の準備と着替え。テレビの中のお天気お姉さんは今日も笑顔だ。
「昨日都心は大雨に見舞われ、異常気象とも言える…」とニコニコしていたかと思えば、いかにも心配していましたと言わんばかりの表情にパッと切り替わり、続きの原稿を読み上げる。異常気象という言葉をよく耳にする。

『よく耳にする』という時点ですでに異常ではないのかもしれないが、過去の事例が当てはまらないということを言いたいのだろう。確実に時代は移り変わっている。
もう当たり前は当たり前ではなく、普通は普通ではない。ただ、この世が確率で成り立っていることに変わりはなく、数%の異常があるのも事実…
とこんな調子で、早速朝から私の思考はフル回転だ。
素直に『ああ、異常気象だったんですね』と受け入れれば良いのに。

休日と言ってもこれといって予定はない。
こんな日は電車にでも乗って、あてもない旅に出たくなる。
休日の電車内も良いもので、平日とは違うミュージカルが公演される。決まって生き生きとしたキャストが多く登場するのだ。
車窓からの日差しは心地よく、気付くと私は自然と目を閉じていた。そこには平穏な時間が流れていた。

車内アナウンスとともに扉が開く。この駅は人の乗り降りが激しい。
都会の駅のホームでは、降りる人を先に通して乗る人はそれを見送ってから乗り込むという暗黙の了解がある。それを世間ではマナーと呼び、それを守れない人、社会の秩序を乱す人は、異常と言うカテゴリーに分類される。
「あれ、朝のお天気お姉さんの言葉に引っ張られてる?私…なんかダサっ」

扉が閉まる直前、スッと一人の男が乗ってきた。
帽子を深くかぶり、マフラーを鼻の辺りまで巻いている。その怪しい格好ゆえに思わず目を向けてしまいたくなる。
気になっているのは私だけなのだろうか…。周囲は誰一人怪しむ様子もなく、男はスッと舞台セットに溶け込む。

早速私は男の配役を決め始める。
『過去の出来事から闇を抱え、社会に溶け込めず、周囲の幸せそうな家族に少し嫉妬をする30代の無職の男』といったところだろうか。

暗めの服装だからか、何かをしでかしてしまいそうな雰囲気を醸し出している。すると男は右側の扉にもたれ掛かったまま、ゆっくり周囲を見渡し始めた。
男もまた一人ひとりに配役を決めているかのようだった。もう少し…きっと次は私の番だ。わかっていながらもなぜか視線を逸らせなかった。

「私はあなたにどう映っている?」
私は心の中で繰り返し問いかけていた。同時に、自分が決めた配役が間違っていないかどうか、それを男に確認したかったのかもしれない。
ただ、男には心を見透かされているような気がして、私はまた目を閉じた。

電車は人気のない、無人駅に着いた。
一体どこまで来たのだろう。知らない土地を散歩するのもたまにはいい。
改札を出て、あてもなく歩き始める。舗装されていない砂利道をひたすら進む。
ザクザク。ザクザク。ザクザク。反復する足音に、私は立ち止まった。

「何か用ですか?」
分かってはいたが、問いかけてみた。
「君の配役がどうしても決まらない…」
「え、何?」
私は躊躇なく振り返った。この時、初めて男の顔をはっきり見た。

自分でも不思議だった。顔もそんなにタイプではない。このまま逃げだしてしまえば、この数時間は何もなかったことになるだろう。
でも言葉では言い表せない、すっきりしなくて、もどかしい、そして愛おしくもある感情が、私の足をその場に留めた。

「話、聞きますよ。特に予定ないし、あなた、何か言いたそうだし」
と私は話しかけていた。男は無言のままだ。
「あれっ、私、見知らぬ人に声をかけるほど、社交的な人間だったかな…」
無意識のひとりごと。

私たちは無言のまま、お茶でもできそうな場所を探した。
ザクザク。ザクザク。砂利道を進む音だけが私たちの時間を繋いだ。

昔ながらの喫茶店。
カラン、カランというドアのベル音は、私たちが名前も知らない他人同士だとは思わないだろう。

「ご注文は?」
マニュアル通りの店員さんの対応。
「アイスコーヒー。ミルクとか何もいらないです」
「一緒で。アイスコーヒー二つ、ミルクとか何もいらないです」
男も続けて同じものを注文した。外はそんなに暑くないのに。
「アイスコーヒー二つ、以上で宜しいでしょうか?」
店員は注文を繰り返した。
こんな季節に冷たい飲み物を注文するなんて変なやつらと思われたかもしれない。
男は首を縦に振って答えた。

「で、さっき何か言っていましたよね?配役がどうとか…」
「大体の人はわかる。何を考えているのか。でも君は…」
「え、いきなり何ですが?別に自分が何を考えているか、誰かに知ってもらいたいとか、理解してもらいたいとか、どうでもいいんだけど」
別に何かに怒っているわけではない。でも私は男の会話を遮り、少しきつく言い放った。この男とこれ以上の関係を持つと、面倒くさくなると思ったからかもしれない。

「じゃあ、君はどうして今俺とこうやって話をしている?」
「何か言いたそうだったから…」
「意外と優しいんだ、君」と男は少し上から目線。でも、どこか冷静さがある。
私は弄ばれている気がして、少しイラッとしたが、暇つぶしだと思って男の話を聞くことにした。

しばらくして、店員がアイスコーヒーを持ってきた。コーヒーの香りが私を少し落ち着かせた。
「で、さっきの配役って?」
私は話を戻した。
「わかるんだ、大抵の人は。ただ、君は違った。でも、今少しわかった気がする。君は…」
「意外とよくしゃべるのね。見た目…何というか、ちょっと怖い感じだったから、どちらかといえば無口なのかと…。あっ、私がどんな人間かって話よね?」
男の話を遮ったくせに、また話を聞こうとする私、なんて面倒くさい人間なんだ。

「いや、別にどうでもいいんだけどさ」
男は私が面倒くさい人間だと感じ取ったかのように、これ以上話を広げようとはしなかった。
「何それ」
お互い顔を見合わせる。ほんの少しだけ空気が変わった気がした。
「ちょっとタバコ」
男はそう言って外へ出ていった。店内でも吸えるのに。

(第三話に続く)

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