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リアリティ・トランサーフィンの考察⑦『過剰ポテンシャルを産みだすパターン』

対象に必要以上に大きな意義を与えてしまうと、そこにエネルギーの異質さ(不均一)が発生します。これを過剰ポテンシャルとトランサーフィンでは呼んでいますが、過剰ポテンシャルが産まれると必ずそれを解消するために平衡力(均一にしようとする力)が働きます。

平衡力にとっては過剰ポテンシャルの状態を解消できさえすれば、その手段はなんでもよいので、その状況においてもっとも簡単に過剰ポテンシャルを解消できるような形で平衡力が働くことが多いといえます。

自分がなんらかのシチュエーションにおいて過剰ポテンシャルを産み出してしまっていることに気づいたなら、第一に過剰ポテンシャルとなっている意義を取り下げることで、平衡力によって痛い目に遭わされることを回避するべきです。この場合は、その回避行動自体が平衡力の働きといえるでしょう。

それよりもよいのは、最初から過剰ポテンシャルを作らないことです。そのためには、過剰ポテンシャルを産みだすパターンについてよく知っておく必要があるでしょう。今回の記事と次回(もしかしたら次次回も)の記事ではこのことについて書いていきます。この過剰ポテンシャルについてはかなりのページ数があてられているのですが、記事ではそれぞれの項目についてなるべくコンパクトに紹介していきます。

それでは一つずつ見ていきましょう。

不満と非難

トランサーフィンの観点から言えば、様々なつまらないことで不満を口にするという有害な習慣は、私たちの邪魔をする。反対に、たとえささやかなことであっても小さな喜びを感じる習慣は、非常に有益である。結論は一つ。古い習慣を新しい習慣に取り替えることだ。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著

非難は不満から生まれるので、本質的には(=周波数的には)同じものとみなしてよいでしょうか。わたしの人生経験を振り返っても、不平不満を口にする人というのはそれが習慣になっていました。そして、そういう人がいる場所には必ずトラブルが頻発するのですよね。

不満や非難に満ちている空間のエネルギーが淀んでいることに、敏感な人(霊的に成長している人)であれば気づかれると思います。このエネルギーの淀みこそが、ヴァジム・ゼランドのいう過剰ポテンシャルなのですね。

自分自身が不満を口にしたり、誰かを非難したりしないことはもちろんですが、それが習慣になってしまっている人と距離を置くこと、可能なら縁を断つことも大切ですね。

不満を口にする習慣は、ネガティブなエネルギーを摂取する破壊的振り子の影響によって人類にもたらされたものである。

つまり、不平不満を口にする人、人の悪口ばかり言っている人は、なんらかの破壊的振り子の信奉者である可能性が非常に高いわけです。あなたがそうでなければよいのですが、もしそうであるなら、真っ先にやることは振り子と縁を断つことです。


依存関係

理想化するとは、過大評価する、高所に祀り上げて称賛する、崇める、崇拝の対象を作る、という意味である。世界を創り、動かしている愛は、逆説的に聞こえるかも知れないが、それが本質的に冷静なものである点で、理想化とは異なっている。無条件の愛とは、所有権のない感情、崇拝なしの歓喜のことである。別の言い方をすれば、それは、愛する者と愛される対象との間に依存関係を作らないということにある。この単純な公式は、どこで感情が終わり理想化が始まるのかを突き止める時の助けとなる。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

なにかを理想化すると、その対象を称賛、崇拝することになります。このとき、対象との間に依存関係が生まれます。

ゼランドは「無条件の愛」と「対象を理想化すること、対象を所有しようとする感情、対象を崇拝する感情」とを区別し、後者は本物の愛ではなく、依存関係の別名であると言っています。

愛はポジティブなエネルギーを創り出し、あなたをそのエネルギーにふさわしい人生ラインへと運んでいってくれる。一方、理想化は、過剰ポテンシャルを産み、それが平衡力を発生させ、そして、平衡力が過剰ポテンシャルの解消へと向かう。

依存の問題は幅広くかつ根深いもので、とてもここで簡単にまとめられるものではありませんが、過剰ポテンシャルという観点からいうと、対象を理想化するのは、その対象に必要以上に意義を与えているということである、という理解になります。

理想化と過大評価については次の項目でさらに触れられています。


理想化と過大評価

過大評価は、人に実際には本人が持っていない質を与えることである。これは精神レベルでは悪気のない幻想という形で現れる。しかし、エネルギーレベルでは過剰ポテンシャルが生じる。ポテンシャルは何らかの質や量のレベル差があるところならどこにでも生まれる。過大評価とは、実際にはそれが存在しない場所で、特定の質を思考モデル化して濃縮することなのである。

過剰ポテンシャルを産みだすメカニズムについては、もうだんだん慣れてきたのではないでしょうか。この引用箇所の記述については過大評価だけでなく他のパターンにもあてはまることですが、ものごとの過大評価は誰しもがやってしまいがちなことですね。

ある人々が他の人々にポジティブに接すると、ネガティブに接する場合と同様に、それが広がっていく。この場合、何らかのバランスが保たれる。憎悪の輪が広がることもあれば、愛の輪が広がることもある。平等で良好な対応は、過剰ポテンシャルを発生させない。評価が額面通りの値に対して明らかに変位した場合に、ポテンシャルが発生する。変位の尺度におけるゼロ目盛りに相当するのは、無条件の愛と考えられる。この場合、依存関係は起こらず、過剰ポテンシャルも生まれない。しかし、そのような愛に純粋な姿でお目に掛かることは滅多にない。たいていは、純粋な愛に、占有権、依存性、過大評価の混じり合ったものが添加されている

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

理想化、過大評価、そして依存関係は密接につながっているとゼランドはみているようです。ちなみにここに出てくる無条件の愛とは、愛することに条件がないということ、つまり、相手の出方によって愛したり愛さなかったりということがないということです。

スピリチュアルな文脈でもこの無条件の愛という言葉はよく登場しますが、本当の無条件の愛とは、誰か個人への愛ではなく、この世界のすべて、人も動物も物も例外なくその愛の対象となります。

なぜかというと、存在するすべては一なる意識のあらわれであるからです。要するにワンネスということですが、すべてが一つであるなら誰かを愛して別の誰かを愛さないということはありませんし、動物だって植物だってそこらへんに落ちている石ころだって、自分とおなじ一つのものです。この境地にいたると、愛は動詞(愛する)ではなく、たんに状態をあらわす名詞(愛)でしかありません。

つまり、愛とはひとつであること。ひとつであること、それが愛です。

話がそれてしまいましたが、まとめとしては、無条件の愛(から現れる個人的な愛)ではないものは愛という名を騙るべつのものであり、それが過大評価であったり、所有ないしは占有欲であったり、依存心であったりするというわけです。そして、こういうものが混じりこんだ愛は過剰ポテンシャルを産みだすということになります。

さて、今回はここまでになります。

ちなみにトランサーフィンの最初の記事を書いた時点ではこの第1巻の中古価格は3,500円くらいだったのですが、すでに14,000円を超えてしまっています😮 たまたまだとは思いますが、もしかしたら記事を読まれた方の何人かが購入された結果値段が上がっていったのかもしれませんね。

この本は個人的には5,000円くらいまでなら手に入れる価値は十分あると思いますが、さすがに今の値段は高すぎると思うので、買おうかなと思っている方も、せめてわたしが 1巻の内容分を書き終えるまで様子見されたほうがよいと考えます。記事を読んでいただいて、その上でぜひ書籍を買ってぜんぶに目を通したいと思われたなら、その時に買ってみてください🙏

そして、2巻の方はまだそんなに高くないです。わたしの記憶では、3巻と4巻は1巻2巻の内容とはちょっと別物っぽくなっていました。それもありと言えばありなのですが、トランサーフィンということなら1巻と2巻だけで完結していると考えてよいと思います。ただ、2巻はいわゆる続編というのではなく、1巻と2巻の内容すべてあわせてトランサーフィンを成しています。もし書籍を買うのであれば、2冊とも買って読むべきです。したがって、2巻を先に、安いうちに買っておいてもいいかもしれません。


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