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砂漠地帯の謎

この三度目の大天災は完全に局所的なもので、それをもたらしたのは、この惑星の大気中で数年にわたって進行した前代未聞の『大気の各部の加速された流動』、つまりおまえのお気に入りたちが『暴風』と呼ぶものだった。 この暴風すなわち『大気の異常流動』の原因となったのは、この惑星を最初に襲った大天災でこの惑星から分離した二つの破片だった。すなわち、のちにこの太陽系で二つの独立した小さな惑星となり、今では月ならびにアヌリオスと呼ばれるものが、またもや大天災を引き起こしたのである。

(中略)

こうして生じた前代未聞の暴風は『陸地の突出部』を削り、『陸地の陥没部』を埋めていった。 今ではアジア民族と呼ばれる民族の第一の集団と第二の集団の住民が密集して生活していたアシャーク大陸の二つの国、つまりチクリアムッシュとマラルプレーシーは、このときに砂で覆われた陥没部のなかにあった。

真珠国の数箇所とグラボンツィ大陸の中央部も砂で覆われた。すでにおまえに話したとおり、アトランチス大陸の消滅後、グラボンツィ大陸の中央部には、おまえのお気に入りの惑星の三脳の生き物にとって最大のいわゆる『文明の中心』が築かれ、この惑星で最高の繁栄をきわめていたのだが、そこは今では『サハラ』という名の砂漠になっている。

『ベルゼバブが孫に語った物語: 人間の生に対する客観的で公正な批判 全体とすべて』
ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ, 郷 尚文 著


Google Earth がサービス開始したころ、かなりの時間を使って地球上のありとあらゆる場所を眺めたり調べたりして過ごしていました。いまでこそ当たり前のように使っていますが、Google Earth の登場にはかなりの衝撃を受けたものです。なにしろ、それまでの常識だとアメリカのスパイ衛星くらいでしか見ることができないと思われていたこの地球の全球にわたる細部を、リアルタイムではないにせよ、自宅にいながら自由に好きなだけ観察できるようになったわけですから。

わたしは自分では発見したことがないですが、それまではナスカくらいしか知られていなかった巨大な地上絵が Google Earth によって他の場所にもたくさん存在していることが明らかになっていますね。また、Google Earth 上で任意の地点を直線で結んだりできるようになったことから、世界中の遺跡群や日本の主要な神社などが直線上に並んだり、幾何学的に配置されていることを発見している人もいらっしゃいますね(日本だと はやし浩司さんとか)。

つまり、Google Earth の登場によって、地球上にはこれまで知られていなかった(知りようがなかった)謎がたくさん存在していることが分かったわけなのですが、こういうものは今後もまだまだ見つかっていくと思われます。

そんななかで、個人的に気になっていることがあります。それは、地球上の砂漠地帯の存在です。言葉で説明するまえに、画像を見ていただきましょう。

これも Google Earth の切り抜きですが、こうしてみると、ユーラシア大陸の中央部からアフリカ北部にかけて、砂漠が点在しているというより、全体として巨大な砂漠地帯となっていることが分かります。

また、その全体像をみると、画像上でモンゴルと表示されている場所(ゴビ砂漠)を頂点として、サハラ砂漠の西端モーリタニアのあたりと、ソマリアの砂漠を結べば、概ね三角形になっています。そのように見ると、☆の描いてあるゴビ砂漠のあたりから矢印の方向へと砂漠が拡がっていったような印象を、わたしは受けます。

当初はまだグルジェフのベルゼバブを読んでいませんでしたから、わたしはこれについて、ゴビ砂漠のあたりに巨大な隕石が北東方向から衝突し、その際に吹き飛ばされた砂塵が南西方面へと拡がった結果、広大な砂漠地帯ができたのではないかという想像をしました。

その後、ベルゼバブの引用箇所にであったのですが、これによれば砂漠化の原因は「暴風」ということでした。暴風が起こったさらなる原因は、地球の衛星となった月の影響です。ベルゼバブによればこの月が誕生したのはそれほど昔のことではないのですが、この暴風に地球が襲われた当時(アトランティス大陸が陥没して以降の時代でおそらく紀元前5000年以上の頃)にはまだ月の天体としての運動は太陽系全体のそれと調和していませんでした。詳細は省きますが、その不調和が地球上に暴風を引き起こしたようです。

こうして生じた前代未聞の暴風は『陸地の突出部』を削り、『陸地の陥没部』を埋めていった

とありますが、そうするとこの暴風はやっぱり、ゴビ砂漠のあたりから例の三角形の範囲を描く方向へ吹き荒らしたように思われます。ちなみに、現在タクラマカン砂漠と呼ばれているエリアには、マラルプレーシーという名の、砂に埋れる前はユーラシア大陸第2の都市があったとベルゼバブは語っています。また、だいたい現在のトルクメニスタンのあたりには当時のユーラシア大陸最大の都市チクリアムッシュが存在していたそうです。

これらの知識をグルジェフがどうやって得たのか、はたまたこれらはグルジェフの創り上げた単なる虚構なのか、わたしには分かりません。しかし、Google Earth を使ってこの話のアウトラインを確認してみると、砂漠の広がり方やそれぞれの都市のあった場所の地理的意味合いから、この話には一定の信憑性があるのではないかと思えてきます。

このベルゼバブが孫に語った話という作品のなかでは他に、砂に埋れる前のサハラ砂漠にも大きな都市が築かれていたという記述もあります。これについては別の本かなにかでも読んだ記憶があります。

いずれにしても、現在のアカデミズムが考えている砂漠化のメカニズムでは、2つの大陸にまたがってこれほど広大な砂漠地帯ができていることを説明できないのではないでしょうか? 南北アメリカ大陸に存在している砂漠と、このユーラシア・アフリカの大砂漠地帯とは、なにかが違うような気もします。

また、それをいうなら、オーストラリア大陸はもっと奇妙です。オーストラリアは自然豊かなイメージがありますが、実際には大陸の大部分が砂漠です。砂漠であること自体は不思議というわけではないのですが、この大陸、ほとんど山らしい山がなく、真っ平らといってもいいような地形なんですよね。それこそ、カンナで木材をけずるように大陸表面を超巨大な津波が襲って平らにしたのではないか、と思えるほどです。

プレートテクトニクス理論によれば、オーストラリアはかつてゴンドワナ大陸の一部で、現在の南極大陸と繋がっていたとされています。しかし、南極大陸には氷の下に山脈が存在し、全体として起伏に富んだ地形です。

Wikipediaより

であれば、ゴンドワナ大陸を形成していた時代のオーストラリアは南極と同様の地形であったはずです。すなわち、オーストラリアは最初から真っ平らではありませんでした。ということは、ゴンドワナ大陸から切り離されてから現在に至るまでのどこかのタイミングで、この大陸の表面がほとんど真っ平らになるような天変地異が起きたはずです。

オーストラリアのほぼ真ん中にあるウルル(エアーズロック)にほど近いあるエリアは現在でも放射線量が高く、原住民の言い伝えによれば、そこに行くと死んでしまうから近づいてはならないとされているそうです。一説には古代に核戦争がその土地であったのではないかとも言われています。もしかしたら、津波などの天変地異ではなく、古代核戦争によって大陸表面が平らになるほど破壊されたのかもしれません。

そうだとすれば、土地が荒廃して砂漠化しているというのも、その結果であると考えれば辻褄があいそうです。いずれにしても、なにかがこの地で起きたということは、間違いなさそうです。

さて、砂漠についてとりとめなく書いてみましたが、いかがだったでしょうか? わたしたち現代の一般人には知らされていない、地球と人類の秘められた歴史というものは確実にあります。陰謀論的なものもあれば、単に忘れ去られているものもあるでしょう。生きているうちに、できるだけ多くの真実を知りたいものです。

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