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リアリティ・トランサーフィンの考察⑧『過剰ポテンシャルを産みだすパターンの続き』

前回の記事に続いて、過剰ポテンシャルを産みだすパターンを挙げていきます。長くなりそうなので、さっそく見ていきましょう。

軽蔑と虚栄心

どんな理由があろうとも、決して人を軽蔑してはいけない。軽蔑とは非難の最も危険な種類である。なぜなら、平衡力が働く結果、あなたは自分が軽蔑した人の立場に陥る可能性があるからだ。失われた調和を回復するためには、こうすることが平衡力にとって最も手っ取り早くて簡単な方法である。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用もすべて同じ)
※太字はわたしによる強調です

人を見下すと、いつか自分も人から見下されると言いますが、トランサーフィンの観点からみると、人を見下した(軽蔑した)ことによって発生した過剰ポテンシャルを解消するために、平衡力がその人自身の相対的な立ち位置を引きずり下ろす場合があるということになります。そうすれば、自分が見下していた人々と同じ高さに自分が落ちて(あくまでその人の頭の中のことですが)しまうため、もう見下して軽蔑することができなくなりますね。


優越感と劣等感

優越感や劣等感は、純粋な形での依存関係である。あなたの質が他の人々の質と対比される。そのため、過剰ポテンシャルが作られるのは避け難い。

優越感も劣等感が生まれるとき、そこには比較の対象となる他者がいます。つまり、どちらもその他者(不特定多数のこともありますが)へ依存していることになります。依存関係については前回の記事でとりあげました。

ことさら優劣を比較して、自分の位置づけに気をもむことも行ってはならない。自分の意義を高めることに腐心するというお荷物を肩から下ろしたら、平衡力の働きから免れるのである。

自分の意義といっても、それはどこまでいっても自分の頭の中のお話ですから、具体的になにか努力をしたり、他人から認められたりすることがあったとしても、今度は比較対象のハードルをすこし上げてまた優劣にこだわるというゲームが延々と続いていくでしょう。トランサーフィンは、そのような頭の中のお話思考ゲームをやめて、望む人生ラインをただ選ぶだけでよいと説いています。


願望

願望には三つの形があるとゼランドは言っています。

①強い願望が、所有し行動するというゆるぎない意図に変わった場合

この場合は過剰ポテンシャルは発生しません。「意図」という言葉はトランサーフィンにおける重要なワードで、これからも登場しますが、ここではこの「意図」が選択するということと同じであると思っておいてください。

願望が過剰ポテンシャルから解放された『純粋な意図』に変わった時、1つ目の形だけは実現されるだろう。(中略)望みが現実となる人生ラインへ移動するためには、純粋な意図のエネルギーだけで十分なのだ。

②怠惰でうんざりするような願望

欲しい欲しい足りない足りない。でも手に入れるための行動はなにも起こさない。このような願望は純粋な過剰ポテンシャルです。つまり、過剰ポテンシャルそのものということです。これに対して平衡力はどう働くでしょうか? おそらく、欲しい欲しいと言っていられる余裕さえなくなるような状況へと追い込まれると思います。平衡力の働き方はさまざまですが、どんな形であれ、過剰ポテンシャルが解消されて平衡状態に戻るまではそれが働き続けます。

③強い願望が願望の対象への依存関係に移行したもの

高い意義づけが自動的に依存関係を作り出し、その関係が強い過剰ポテンシャルを産み、平衡力による強い反作用を引き起こす。
「もし私がこれを達成したら、私の状況はずっと良くなるだろう」
「もし私がこれを達成しなかったら、私の人生は何の意味もなくなってしまう」

 ゼランドの言い方をすれば、願望が天秤の一方の皿に載せられ、残り全部がもう一方の皿に載せられた状態ですね。自分がよくなるも悪くなるも、その願望が叶うかどうか次第、というわけです。こういう場合はいずれも願望が達成されない方向に平衡力が働きそうですが、これについては下記を参考に、皆さんでも考えてみてください。

強く望めば、何でもかなう、という意見がある。非常に強い願望は、それが実現する人生ラインへとあなたを運んで行く、と推測できそうな気がする。だが、そうではない。もしあなたの願望が、何が何でも実現させるというある種の精神病、ヒステリックな欲求などへの依存関係に変わったら、あなたは心の中でその実現を信じてはおらず、それがために、強い妨害電波を発することになる。もし心の中で実現を信じていない場合、実現することを全力で自分に納得させるよう努力することだろう。そうなると、ポテンシャルの圧力はもっと上がることになる。


罪悪感

罪悪感は必ず罰を受けるシナリオを用意する。

罪悪感に対する報復は、常に何らかの形の罰である。もし罪悪感が生まれなかったら、その後に罰が続かないこともあり得る。残念ながら、良い行いを誇る感情も、褒美ではなくて、罰をもたらす。なぜなら、平衡力にとっては、良い行いを誇るという過剰ポテンシャルを解消することが必要だからである。もし褒美をもたらしたら、かえってその感情をあおるだけになってしまう。

罪悪感と、よい行いを誇る感情。これらは裏表ですが、どちらも必要以上に意義が与えられている場合、罰を受けるとゼランドは言っていますが、どちらも程よいものであれば問題ないとわたしは思います。

個人的には、意識の目覚めを自覚しはじめたのは人生で最悪の時期に父親の死に直面し、強烈な罪悪感に襲われたところからでした。このときの罪悪感というのはちょっと言葉では表現できないほど凄まじいもので、言ってみればこれ自体がそれまでの自分の生きざまへの罰であったといっても言い過ぎではないほど辛いものでした。実際、トランサーフィンの観点でみれば、まさにそういうことだったのでしょう。

わたしの場合はこの罰によって肥大していたエゴが完膚なきまでに叩きのめされ、ほとんど破壊されてしまいました。いまでこそ、これは神の恩寵であったと思えますが、エゴにとっては死刑に等しい罰でもあったわけです。

そういうこともあって、罪悪感というものは特に要注意だとわたしは思います。わたしの場合はたまたまそうなって今こうなっているのですが、狙ってやることではありませんし、大抵の場合、罪悪感への罰は厳しいものになるでしょう。

通常、平衡力は良心の呵責に苦しんで居ない人々に影響を与えたりしない。その一方で、神はろくでなしたちを罰すればいいと思うし、正義が勝利しなくてはならず、悪は罰せられるべきと思う。しかしながら、それがいかに痛ましくとも、自然にとって正義感というものは存在しない。逆に、生来の罪悪感を持つ真面目な人々には、常にありとあらゆる新たな災厄が襲いかかるのに対し、良心のかけらもない恥知らずな悪党たちは、しばしば罰せられずに済むばかりか、成功までも手に入れることがある

罪悪感なしに悪事をなせば罰を与えられることもない。なかなか簡単には受け入れがたいことですが、世の中をみてみれば、これが事実であることを認めざるを得ないでしょう。だからといって、それを推奨しているわけでは、もちろんありません。なぜなら、そのような悪党は必ずなんらかの破壊的振り子の信奉者ですから、平衡力による罰は回避できても、いずれ振り子の力が衰えるとき、それまでやってきたことへの報いを受けるでしょう。トランサーフィンは輪廻転生にまでは踏み込んでいませんが、今生を逃げ果せても、それはカルマとして来世へと持ち込まれます。

聖書の戒めは、正しくふるまうにはどうするべきなのかという見解に立った道徳ではなく、平衡状態を乱さないようにするためにはどうふるまうべきかについての勧めである。

人は罪の過剰ポテンシャルを消し散らそうとして、ある興味深い方法を考えついた。それは許しを請うことである。これは本当に効果がある。もし人が罪悪感を持っているとしたら、その人はネガティブなエネルギーを維持しようとして、過剰ポテンシャルを溜め込む。許しを請うことで、人は過剰ポテンシャルを放出し、エネルギーが徐々に消えてゆくことを可能にする。許しを請うこと、自分の過ちを認めること、罪の許しを神に祈ること、懺悔することなど、これらすべては罪のポテンシャルから解放される方法である。

ゼランドはロシア人ですが、ロシアもキリスト教国です。そのため聖書についても言及があります。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、という言葉はキリスト教徒ではない人にはなかなか理解しがたい(キリスト教徒であっても理解しがたいかも)ものですが、右の頬を打ってくるその人は、その人自身が振り子か、あるいはなんらかの破壊的振り子の信奉者であるわけです。トランサーフィンでは、その人自身の感情や思考の中身をどうこうと考えず、単純にその場でどんなエネルギーが働いているかということに着目します。その観点でいえば、右の頬を打たれて左の頬を差し出すというのは振り子の意表をつくことで手なずけようという戦略だと見ることもできますね。


さて、今回はここまでにします。次回も引き続き、過剰ポテンシャルのパターンの話になります。


ところで全然関係ないですが、トランサーフィンの本に「青い鳥」という言葉が出てきていたので、なんとなしにウィキペディアで検索してモーリス・メーテルリンクの「青い鳥」の項目を読んでみたところ、なにかビビビッとくるものがあったので、Kindle で買っていま読んでいます。

まだ半分くらいなんですが、まさに予感通りで、このお話、ちょっとぶっ飛んでいますね。仙女がチルチルに与えた帽子に秘められた力もサイケデリックですし、チルチルは基本的にかわいらしい子供なのに、ときどき殺伐とした台詞を口走ります。チルチルとミチルには他にも5人ほどきょうだいがいたのですが、二人以外は全員死んでいる(なぜ死んだのかは分からないままです)という不穏な設定もあったりして、これ本当に童話なの!? という感じです。でも面白いですね。安いのでみなさんも読んでみてください。

↑ 今日は6,000円ですね。流通量が少ないようです。こういう本はなんとか電子書籍化してもらいたいものですよねえ🤔

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