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見栄とか恥とか、さみしくて

 祖母からもらったバッグを使っている。お下がりだ。正確には「使っていた」と言うべきかもしれない。結婚前にはよく、この黒い肩掛けを持って出かけていた。
 
 3世代に渡って使っているせいで、革はすっかりなめらかだ。やわからい布みたいに自在に形を変える。見た目もべつに悪くない。と思う。ちょっとくたびれて見える部分はあるけど、外からはわからない。
 
 いまの旦那さんと結婚する前の、数少ないデートのときもこれを持っていた。その日は、ふたりとも仕事帰りだったかなにかで、あたりはすっかり暗かった。一緒に海辺に座る。なんでそんな話になったのか、このときバッグについて触れたのを覚えてる。
 
「これおばあちゃんのお下がり。おばあちゃんが使って、お母さんが使って、わたしが使ってるの」
 
 言いながら、ひどく恥ずかしい気持ちになった。なんでだろう。いままでそれを恥に思ったことなんてなかったのに、急に顔が赤くなってしまう。これじゃ、なんだかすごく貧しい人みたい。こんなことなら、少し見栄をはって高いバッグを持つべきだったかな。
 
 これで彼に嗤われていたら、たぶん結婚を考え直しただろう。実際には「そういうの好きやで」と言ってくれたので、顔のほてりも一瞬でおさまった。
 
 あとになって「なんであのとき、あんなに恥ずかしかったんだろうな……」と思う。見るからにボロい物を、恥をしのんで持っていたわけじゃない。物を長く使うのはいいことだし、長い使用に耐えられるのがいい物だ。
 
 でも恥ずかしかった。そのときは。
 
 いま思えば、ほかの女性を気にしたのだと思う。旦那さんは、いろいろな女の子と会ってきた人だ。その中には当然、ブランドのバッグを持つ女性も多かった。というより、彼が会った大半がそうだったらしい。
 
 あとあとになって言われた。「みんな男に買ってもらったような、高いカバン持ってデートに来るねんで。君だけやで。おばあちゃんのお下がりなんていう、ワケわからんバッグ持ってきたの」。
 
 自分はその「ワケわからん」が普通だと思って生きているのだ。世間の「普通」とずいぶんかけ離れているんだろうか。だとしたら辛い。わたしはブランドのバッグをどこで買うかも知らないのに(正規店で買うの?通販?)みんなそこ履修して生きてるんですか。
 
 見栄や恥っていう感情は、人と自分を比べるところから起こっているらしい。いまさならながら悟る。単独行動の多い自分だから、どんなカバンでも気にしなかっただけで、ステータス重視の女性たちに囲まれていたら、また話は違ったかもしれない。
 
 わたしがいままでコストレスに生きてこれたのは、周りの人に恵まれたから。そういう側面はあるだろう。いま調べたら、シャネルのバッグって中古でも70万するんですね。これらのお金が浮くのは大きい。
 
 このあいだは久しぶりに、学生時代の先輩と会った。いつもカジュアルな恰好のかわいらしい人で、前は茶色かった髪を地毛の黒髪に戻し、にこにこと手を振って現れた。ユニクロのニットに身を包み、手頃だけど作りのちゃんとしたバッグを持っている。
 
 しっかりしていてかわいい。こういう人はいいな、と思う。こういう人がそばにいてくれたのは、思えばとてもよいことだった。一緒にパンケーキを食べた彼女は、インスタに載せるための写真を撮ったりせず、ずっと私との会話に時間を使ってくれた。
 
 人によっては、食事の前にスマホを出してカメラを向ける。それが悪いとは言わない。でもなんとなくさみしい。この人は、その写真を見る「だれか」のことが大事なんだろうな……と思ってしまう。目の前にいる自分よりも。
 
 見栄とか恥とか気にしすぎるより、近くの誰かや何かを大事にしたいなと。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。