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12月になったから

 12月だから、一年を振り返るのに早すぎるってことはないと思う。個人的には激動の一年だった。
 
 たとえば新年早々、内勤ときどき夜勤の生活から現場勤務に切り替わり、プレハブ小屋で働くことになった。建てていた公共施設がほぼ完成すると、今度は本社の内勤になり、現場手当がつかなくなった。現場手当というのは高いもので、これはお給料に響いた。
 
 このタイミングでいきなり結婚することになり、引っ越した。人妻になり団地妻になったかと思うと、今度は妊婦になった。気持ちがついていかないなあと思いながら、初めて行く産婦人科でベッドの上に寝そべった。産休に入るのは年が明けてからだ。
 
 まだ今年もあと少しある。年賀状は書いたほうがいいし、クリスマスカードを出したい人もいる。何が起こるかなんて最後までわからないし、完全に終わったわけじゃない。でも、そろそろ振り返ってもいい時期でもある。
 
 本を読んだ。noteの記事をさかのぼっていくと、今年の1月には『ウォンバットのうんちはなぜ、四角いのか?』を読んでいる。なんでだっけ。読んだはずなのに忘れた。ナボコフの『ロリータ』を初めて読んだのも、今年だったらしい。
 
 印象に残っているのは、木村敏『異常の構造』。まともであるとはどういうことで、異常であるとはなんなのか。そういうことを考える糸口をくれる本で、このときの感想をいくつか記事にした。
 
 人間にはいろんな状態があって「健康」とか「病気」とか言われるけど、なかには「別に病気ではないが、その状態だと辛い」も存在する。木村敏の言葉を借りるなら、不幸で気の毒な状態。
 
 「病気じゃないけど治療したい」という状況が、確かに人間にはあって、なるほどそれは治癒できたらいいと思う。「病気」という言葉があてはまらないんだったら、「治せる不幸」と言い換えてもいい。
 
 治せる不幸は、治したほうがいい。木村敏の本にあるこのスタンスは、自分の生活態度ともよく似ている。五体満足で内臓に支障がなく、精神疾患にもかかってないから……という理由だけで幸福になれるほど、人間は単純にできていない。
 
 不幸は治せるなら治したほうがいい。苦しみの理由は取り除けたほうがいい。生活に何が足りなくて何を足せばいいのか、あるいは引けばいいのかわかっているほうがいい。実行できればもっといい。
 
 手前味噌になるけれど、結婚してから、あるひとつの不幸からは救われた。それは「結婚せよ」という圧力から逃れたことではなく(そもそもそんなこと言う人は、周りにほとんどいない)、たぶん孤独とかなにか、それに近いものだと思う。
 
 ひとり暮らしをしているときは、休日になると誰にも必要とされなかった。24時間が自分のものであるのは、なるほど贅沢ではあったけど、その贅沢をときどき持て余した。会いに行く恋人もいなかったし、友だちと会うのは年に数回ほどだ。
 
 誰にも名前を呼ばれない。休日は、喫茶店に行ったり図書館に行ったり本屋に行ったり、ひとりで完結することで時間を埋めた。お店の人と話すくらいのイベントはあったけどそれだけだ。「ひとり」は優雅だけど、もう十分だった。
 
 ふたり暮らしになってからは、休日の過ごし方が大きく変わった。図書館にはふたりで行く。ふたりで買い物に行って、行った先でご飯を食べたりして、帰ってくると思い思いに過ごす。完全にひとりになることも、なれることもない。
 
 今年一番の大きな変化は、それだったんじゃないか。まだ年末までわずかに間があるけど、いまのところ「休日の過ごし方」が、変わったことのトップにランクインする。
 
 昨日会った人は「すごい勢いでここまで来ましたね」とコメントしてくれた。皆さんはどんな年でしたか。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。