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「新しい友達、欲しい?」

「新しい友達、欲しい?」

先日、友達とご飯を食べた後にお茶しながら話していた時、私の口から咄嗟にでた言葉だ。友達が「社会人生活20年、その間、新しい友達が1人もできてないという状況、やばくない?」と話し始めたのがきっかけだ。

彼女は、学生の頃は自分の感情に素直な人で、だれにでも興味があれば積極的に話しかける人だった。生粋のジャニオタだった事から、大学卒業後、関東圏で生活し数年後関西に戻ってきた。追っかけ生活を謳歌していた彼女だが、コロナが始まり、ライブも無くなり、推しグループも色々あり、関西に戻ってきた彼女はオタ活からどんどん離れていくこととなった。その結果、ジャニオタ友達とも疎遠となり、現在新たな「推し」を見つける事なく、日々生活を送っているという。ちなみに「オタ活」で知り合った人は、現場だけの付き合いとなることから、彼女のいう「友達」とは違うらしく、気軽にご飯食べに行ったり、いろんな話ができるような人が、彼女が求める「友達」らしい。

「友達」についてよく考える。
「友達」は無理に作るモノでも無い。
ただ、友達になるには、最低限の努力が必要だと思う。出会いの場に行く、自ら話しかける、相手に興味を持つ。その中で、うまくフィットする人とゆっくり「友達」になっていくのだと思う。その努力を億劫だと感じる時は、新たに友達を作るタイミングでは無いと思う。
最近の彼女といえば、人と接する事、自分自身の発言に自信が無い、億劫だと話している。なので、彼女から「新しい友達が欲しい」と出た時、「はい?」となって咄嗟にあの言葉が出たのだ。

私は「極度の人見知り」という事もあり、自ら話しかける事ができない。自ら話しかける事は、気軽にできる行為ではない。正直ストレス過多だ。その反面、人に興味はある。とてつもなく厄介な生き物だと自負している。だから「どんな人か知りたい」と思っても、そのきっかけを全て逃してきた。社会人になって知り合った人は、よくよく考えれば、自ら話しかけたという人は1人も居ない。習い事、美容関係、知人の知人。何かしらの「きっかけ」があり、そこから少しずつ話すようになり、今親しくさせて頂いている。

けれど、「新しい友達が欲しい」という彼女の気持ちは痛いほどわかる。
本音を言えば私もその気持ちはある。ただ、余計や感情やひねくれ、面倒くさいという理由にもならないモノに支配されている今は、できなくて当然だ。実は、友達と別れ、帰宅の途についたとき、「あぁ、これは駄目だわ」と反省した私。結局、なんやかんやとだらだら書いてきたけれど、「友達になりたいと思われる人」になる事が一番大事なのだと改めて気付かされた。


これまで気付かなかったこと、当たり前だと思っていたことに、改めて気付かされたり、「そうじゃないのか」と思う機会が増えてきた。「友達」に関する事もそうだ。だいぶん遅いかも知れないが、自分自身と向き合う時期がやっと到来したのだと模索を繰り返す日々が、これからも続くと思うと正直、どうしたものかとなるけれど、逃げることなく向き合った先に何があるのか。それが不安であり、楽しみでもある。


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