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不登校になった長男

14歳で1年間、シアトルに留学した長男
高校は日本の高校に戻りました。

中高一貫校だったのですが
中学3年のときに休学して留学して
また同じ高校に戻ったのですが

日本とアメリカの学校の違いに
長男は日本がしんどくなったのです。。

その頃、私のリウマチが悪化して

もう一度、アメリカに戻るか
日本で全寮制の学校を選ぶか悩んで

結局、日本の学校を選びました。

高校2年になったとき長男は
もう学校を辞めたいと。。

私は言いました。

「お願いだから、せめて高校だけは卒業して」と

このとき、息子は本気の決断だったので
わたしが何を言っても無駄でした。。

学校の先生に相談しました。
「とにかく息子が幸せになってくれればそれでいい。
ただこの選択で息子は幸せになれるのか心配です」と

先生とお話ししていたら
ぽろぽろと涙が溢れてきて。。

すると先生が

「大丈夫です。
残りの単位は通信制の高校で取れますから。
わたしが責任をもって見届けますから」と

それから1年間、ほとんど学校に行かず。。

長男は自分の将来を考えたら眠れない日々

そんなある早朝

眠れなかった長男が
朝、テレビをつけたら
報道カメラマンのドキュメンタリー番組

そのテレビを見たときに
自分がやりたかったことはこれだ!と

それから長男は
大学で写真を勉強すると決めて
芸大の写真学科を選びました。

通信制の高校で単位が取れていたので
大学は受験することができました。

大学に入ってからは
水を得た魚のように
自分のやりたかったことができる

暗く長いトンネルから
ようやく出られた喜びもあって
毎日、充実した学生生活になりました

大学は1年間休学して
ニューヨークの写真学校で学んだり
カンボジアを旅したり

就職は新聞社と決めていましたが
記者になるハードルは高く
就職活動は失敗の連続でしたが

どうにか地方新聞に就職することができて
2年後にご縁があって
大手新聞社に転職することができました。

忙しそうですが

やりたかった仕事に就けて
毎日、取材でたくさんの人に出会い
自分が撮った写真や書いた記事が
たくさんの人に読んでいただける喜び

いつもありがたいなって話しています。

不登校になって
考える時間があったからこそ

この人生なにをやりたいのか
向き合うことができてよかったと。

最近になって聞きました
「どうして高校辞めたの?」と
長男「行っても意味がないと思った」と。。

たしかにあなたの人生困らなかったね。

長男は不登校で悩んでいる子どもさんに向けて
自分の体験談を新聞に書かせてもらっていました。

人生、遠回りしてもいい
みんなと同じでなくてもいい

長男の子育てから学んだことです。

そうそう
幼稚園の大親友
(悪ガキのふたりだったのですが)

20年ぶりの再会は会社
すごい偶然で
M君も同じ新聞社の記者になっていました!

M君も高校で不登校になったそうです。
会っていなかった20年
同じような経験をして
同じ会社で仕事をするようになるなんて

こんな奇跡もあるんだなーと

もうひとつ

カンボジアをバックパッカーで旅したとき
トゥクトゥクにたまたま乗り合わせた日本人

数年後、地方新聞に入ったとき
同じフロアーでバッタリの再会!!
なんとその新聞社の記者さんになっていたそうです。

トゥクトゥクのご縁が
その数年後、
日本で一緒に仕事をするようになるとは

ご縁ってほんと不思議
世界は広いようで狭い!!

不登校って一見ネガティブなことだけど
若い間に自分の将来を考える時間を持つことができる
悪いことばかりではないのですよね。

もしも私が10代に戻れたら
自分の将来について考える時間を
たくさん持ちたかったな。

これを邪魔するのはモラハラ父

息子たちには
自分の人生を生きれるように
モラハラ父と夫から
カラダを張って守り抜きました!














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