みんなちがってみんないい

今日、久しぶりに主人と長い話をした。
主人も主人のクライアントさんもみんな自分軸をしっかり持っていて、むずかしいこと考えていてかっこいい。
私はうすっぺらいなーとちょっと恥ずかしくなって、主人に「あなたみたいになりたいなー」と言ったら。

「本当になりたいの?」
って言われて、ドキッとした。
ちゃんと考えてみたら、本当になりたいわけではなかった。そんな長い時間、調べ物をしたり知識を体系的に整理したり、いろんな情報を集めて自分に落とし込んだりしたいわけではないなあ。

「自分はしたくない」と自覚できた。

そんなことをしている人を見ているのが好きなんだなーと気づいた。

私の父も、母方の祖父もやたら本が好きでいつも書斎にこもっては一人黙々と本を読んだり書き物をしていたりしていた。
だからそんな人のそばにいると安心するのかもしれない。

私自身がそうなりたいわけではなかった。

「なりたいわけじゃないやー。でも子どもと毎日ワーワーやって、馬鹿みたいじゃんね^^;」
って言ったら、
「ほら!そこ!」とダメ出し。
「自分の強みをこんなこと扱いしない。俺は子ども相手にそんなにいつまでも遊べないし、楽しめない。それこそ強みじゃん??」

・・・。
私は、また、大きな思い込みをしていた。
「子どもと遊ぶことは、大人の義務を放棄している。もっとやりべきことがあるだろうに、それをせず、時間を無駄にしている。生産性のない行為。」とどこかで思っていた。

でも主人は私のそれは強みだ。俺には絶対できない、すごいことだと言ってくれた。多分そう言っていた。

そっか。「私に強みなんてないなー」と思っていたけど、これなのか。

だったら、自分を否定せず、もっともっと子どもと遊びたいと思う。子どもの相手をしようと思う。私は公園で砂場の砂を一緒に掘ったり、ケーキを作ったりするのが好きだ。
子どもが宿題がわからずに ウンウンうなっている横で、一緒に悩んだり考えたりすることが好きだ。
一緒にゲームして悔しがったり一緒にクリアすることが好きだ。

これらのことは子どものすることで、大人の私が一緒に楽しむなんて、他にもっとやるべきことがあるのに、楽しいことしかしない一種の逃げだと思って否定していた。でも主人が、これは絶対俺にはできない。もっと自分のしたいこと、ちゃんとやってみたら?本気でやってみたことないんじゃない?って言ってくれたので、手を抜かず真剣にやってみようと思う。

色々理解のある主人でありがとう。
お互い違う性格だから役割分担ができる、って言っていたので、自分のことをもっと極めてみようと思う。

みんな違うから、みんないい。
自分に自分らしく生きる許可を出そうと思う。


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