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アンチテーゼ~映画は誰のものなのか問題なんかいらない「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観て思うこと。

 GWにしたことといえば、結局この映画を観にいったことに尽きる。

「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」はマーベル・シネマチック・ユニバース(MCU)の28作品目、ドクターストレンジの映画としては2作目、ドクター・ストレンジが登場する作品としては、マイティ・ソー/バトルロイヤル、アベンジャーズ/インフィニティウォー、エンドゲーム、スパイダーマン/ノーウェイホームがあり、ドクター・ストレンジの活躍を見るためには計6本の映画を見る必要があることになる。

 更に重要な登場人物、スカーレット・ウィッチことワンダ・アシモフの登場作品アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン、ディズニープラス独占配信ドラマ ワンダヴィジョン(全6話)まで網羅すると、まるまる24時間以上予習に時間と費用をかけなければならなくなる。

 そんな映画を「これは面白いから観たほうがいい」などと気軽にお勧めなどできないし、そんな映画はどうなのだろうという疑問がどうしても沸いてくるわけで、果たしてサム・ライミ監督はそれにどう応えるのだろうかというのが、実は映画を観る前の最大の関心であった。

 記憶に新しいところでは1月に公開された「スパイダーマン/ノーウェイホーム」は、『完全ネタバレ禁止』というサプライズがメインのような作品であり、この映画を楽しむに当たっても過去のスパイダーマン――すなわちサム・ライミ版3部作とマーク・ウェブ監督のアメージング・スパイダーマン2部作、及びMCU版スパイダーマン2作を観る必要があるとされたいた。

 ここでもそれでいいのかという疑問符がネットを中心にあったことは知っているが、映画配給会社の枠を超えて、トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールド、トム・ホランドの歴代スパイダーマンが出演したファンサービスに対しては概ね好意的なファンが多かったように思う。

 さてここで筆者自身の雑多な感想で言えば、面白ければそれでいいじゃんというのがまずある。映画は楽しむものであって、それをより深堀――すなわち考察するのもひとつの楽しみ方であるのだから、そういうことが好きであり、楽しめる筆者としては「どんと来い! MCU」という感覚である。

 しかしながら、それは果たして誰にも通用するのかと言えば否であり、それを前提として作られる作品と言うのは、果たして一般的な定義であるところである映画なのかといえば、疑問符が残る。
 第1に、それを前提とした経済活動に付き合うことを好ましくは思わない。次に、それを前提とした作品を人に勧める気にはなれない。そしてもっとも懸念される第3の視点は、そんなことをしていたらいつまでも続かないし、映画のあり方が一方向、或いは手法に偏りすぎてしまうのではないかという懸念である。

 これはたいそう偉そうな提言なのだが、しかし現実問題とし、すでに28作品も連なっているシリーズを今から観ようという気になれないのは当然のことであり、筆者自身、このシリーズを観にいくパートナーを選ぶことがどんどん難しくなっていると感じているからである。

 一方マーベルとは違いSONYはベノムやモービスといった同じアメコミ、そしてヒーローとからむ作品でも意図的に切り離して単独作品として楽しめるように製作しているし、スーパーマンやバットマンのDCコミック側では、ジョーカーやバットマンをそれぞれ単独作品として成功させている。
 もちろんジャスティスリーグのような複数のヒーローが活躍するシリーズも手がけているがMCUの規模に比べればメインストームではない。

 であれば筆者の懸念など、取るに足らない局地的な現象なのであろうか。

 もっと大きな視点、映画黎明期から現在までの映画史及びそれに付随する音楽や映像作品や大衆文化のありようを鑑みてみると、今まさに大きな転換点にエンターテイメントの世界は来ているのではないだろうかと筆者は思うのである。

 映画はどこで観るものなのか。そして誰と観るものなのかとい視点で次の資料を軽く眺めてもらうと、その時代時代の流行や社会問題、そしていつの時代にも映画界を席巻するシリーズ物というのが存在していることがわかる。

年度別映画興行成績
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%88%A5%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE

wikipedia

 世界的に観ると007シリーズが60年代後半から80年代までヒットし続けていることがわかる。これはある意味驚異的な存在である。そして多くの人は最新作を劇場で堪能し、過去作品をお茶の間のテレビで観て来たのではないだろうか。

 80年代にビデオデッキとケーブルテレビの普及から、その状況は徐々に変化していく。みんなで楽しめる娯楽映画よりも、各年代にターゲットをあわせた作品群のいわゆる群雄割拠時代がこれにあたるがその中でも多くの支持を集めたのはジョージ・ルーカスのスターウォーズシリーズ、スピルバーグの娯楽作品がランキング上位に入っており、007シリーズは徐々に人気を奪われていっている。
 ダイハード、スピードといった派手なアクション映画やバック・トゥー・ザ・ヒューチャーのようなライトSF,エイリアンのようなSFホラー、そしてバットマンが成功を収めている。

 このあたりになると映画の過去作品、或いは最新作品も時期をまってビデオで借りてみるようになってきており、それを家族で一緒に見ることもあれば、友達の家に集まって観た経験がある人は多いと思う。

 ある意味では劇場に足を運ばないライトユーザーが増えているが、同時に好きな作品を買って繰り返し観る文化もここで定着したと思われる。そして映画についてより深い考察がなされる用になったのも90年代の特徴であり、サブ・カルチャー文化が一気に注目された時代でもある。

 SF作品「ブレードランナー」は映画公開時には大きな話題にはなっていないと記憶しているがビデオの普及によりコアなファンからライトなファンへ口コミで伝わり、いつしか伝説的な作品をなっていったのではないだろうか。
 また90年代の特徴はSFXやCGによる映像表現の大転換期でもあったといえる。ジェラシック・パークは当初、フィギアやロボットをメインで撮影する予定であったが、最終的にCGを多様するようになったエピソードは有名である。
 そしてそうしたCGを使う予算などなくとも面白い作品が作れることを証明したのがいわゆるB級ホラー作品群で、ブレア・ウィッチ・プロジェクトをはじめとする低予算作品はビデオを中心に大ヒットをしている。

 2000年代、サム・ライミ監督がスパイダーマンをヒットさせたことはある意味象徴的な現象だといえるかもしれない。サム・ライミ監督はもともとコメディを撮りたかったが、有名コメディアンの出演しない映画など誰も観てくれないことは自明の理であったため、「死霊のはらわた」のようなホラー設定で実は笑えるドツキドタバタコントのような作品を作ることで監督としての知名度を上げていったのである。
 一方でディズニーとピクサーが製作したモンスターズ・インクのヒットは、CGがもはや映画の部分的な手法ではなくなったことを証明した作品でもある。
 マトリックスやロード・オブ・リングといった作品も話題を呼んだのだが、サム・ライミ版スパイダーマンを今振り返って観て思うことは、当時のCGはそれでも今見ると作り物感はぬぐえないということだ。それでもあの映画をスパイダーマンのベストだとする人の声は多い。それはきっとサム・ライミ監督の映画人としての引き出しの多さがあの作品に詰まっているからではないのだろうかと思う。
 そして2008年に公開されたMCUの第1作目アイアンマンから現在に至るまでの映画界はどうだったのだろうか。

 時代はISDN,ADSL、そして光回線とネット環境が向上するにつれて、オンデマンドで映画を楽しむ時代がやってきた。それは同時にネットで繋がった人たちの間で情報を共有し、映画に対する考察を含め、いわゆる「オタク文化」がメインストリームになる時代へといざなっていったのではないだろうか。
 一方でアバターが空前のヒットを飛ばし、映画館で新しい3D体験が可能になった。この頃から映画のランキングはシリーズ物で埋め尽くされた行く。多くの人が共通のアイコンを求め、世界中でひとつのキャラクターを追いかけるブームの到来の象徴はハリー・ポッターシリーズやMCU、そしてバットマンの新シリーズがアメコミヒーローの市民権、大人が楽しむコミックヒーローを世界中に認知させたことあたりはそろそろ記憶に新しいと言っていいのかどうかわからないが、筆者としてはついこの前のことのように思っている。

 そして昨今サブスクリクションに何も登録していない人は少ないのではないだろうか。どのコンテンツをどれだけ見たいか。そこに新しいエンターテイメントビジネスが生まれ、MCUとはまさにその最先端にあるのだと思う。

 配給側は、アメコミファンを納得させられるより練ったしかけを提供し続けなければならないし、役者はファンの要望に応えるべく作品のキャラクターを深く掘り下げて最高の演技を見せる。
 映画監督はそうしたファンの要望と製作者側の意図と予算、出資会社のコンプライアンスなど、ある意味多くの足かせのある中で最大限努力することを求められる。

 果たして映画とは誰のものなのか。
 もはや一部とはいえなくなった熱狂的ファン(オタク)は、ある意味映画の批評家や配給会社の宣伝部よりも力を持っているといえる。だれしもネットの声に敏感にならざるを得ない状況の中、サム・ライミ監督はひとつの答えを出してくれたのではないのだろうか。

 難しいことは言わない、この映画を観てもらえれば楽しめる、それは監督である私が保証する

 と言わんばかりの「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」だったなというのが、筆者の感想である。エンドゲームやノー・ウェイ・ホームももちろん楽しんだが、そこに感じていた物足りなさ。その答えをこの映画は雄弁に語ってくれているのだと思う。

 映画は誰のものでもない、監督のものだと

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