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アンチテーゼ~定住なんていらない

 住まいを変えた。

 慣れ親しんだ部屋ともお別れ。

 いろいろなことがあった場所だ。そしていろいろな過去の記憶を引きずってきた場所だった。だからこそ今があって、それはずっと続くものだと思っていた。

 歩いていける距離の引っ越しは2回目だ。この街に長く居すぎたのかもしれないがそこは今のところ後悔はしていない。なぜならここはまだ新しいと知ったからだ。知っている場所に知らないものがたくさんある。知らない店、知らない路地、まだ出会っていな人々。知り尽くすこともできないだろうがそれでもまだまだこの街には未知がある。

 今まで住んでいたところから見える風景。それはとても狭く、そして近かった。だから僕は空を見上げいつも月を探していた。僕は月に愛されているからいつでも見つけることができた。それは母であり、他界する前に言えなかったことをこっそり懺悔して眠れない夜を過ごす。そんなことが許される場所だった。

 その場所からは彼女の姿が時々見えた。どんなに遠くても僕は彼女を見分けることができた。それは月を見つけるのとは過ごし違った。不意にそれは現れ消えていく。そう。必ず消えていくのだ。彼女に伝えたいことも、言い残したことも僕は口にしない。いつかまた不意に現れ交じり合うことがあるのだとしたら、そのときは語ろう。それは恋でも愛でもなく、悲しくもうれしくもなく、ただ知りたいだけ、ただ知ってほしいだけの関係なのだと思う。

 玄関先の植え込みには小さな世界があった。名も知らぬ雑草たちの生存競争を季節の移ろいとともに眺めるのは楽しかった。新しい場所ではそれは望めない。その代わりに音がある。風がある。窓から通り過ぎる風は前の場所よりも涼しげだ。前の住処は虫の音が聞こえるほど静かな場所だったし、珍しい訪問客、ハクビシンやアリグモなるクモに似たアリ、天然のミツバチたちがときどき話し相手になった。

 しかしここは車の通りの多い道路に面し、手の届くところに緑はない。濡れた道路を走りすぎる車の音は、そういえばどこか懐かしい。そうだ。この街に来る前に住んでいたところもトラックやタクシーが昼夜通して聞こえていた。そうだった。だからこそ生まれた言葉が確かにあったのだ。

 引っ越しの荷物をまとめると、そこには中学生のころに書き留めたノートが何冊か見つかった。一度捨てる側に置いたものの、ふと思いとどまりそのノートを回収した。日記や作詞した拙い文字たちが詰まっている。昔はそれを気恥ずかしく思ったものだが、今ではその勢いにうらやましさを感じてしまう。老いたのかなと自分を笑い、そんなものをここまで捨てずに持っていた罰として、これを一生捨てることを禁じた。

 母の形見でもある初めて買ったシンセサイザーを処分した。中学から集めていたアナログレコードを売却し、オーディオもすべて処分した。大量のカセットテープとCD、ビデオカセット。デジタル保存することも考えたが、膨大な時間をかけて二度と見たり、聴いたりしないものを取っておいても仕方がない。今回引っ越すにあたり始めてそう思えた。思えたから手放した。こういうことは、それができるときにやるべきなのだ。

 すっきりとした新しい部屋。できるだけ機能的に家具を配置し、ものを整理した。あたらしい環境で書く文章。少しは何か変化はあっただろうか。あまり期待はしないが、悪くない気分だ。

 ある人の言葉を思い出す。『定住は悪だ』と、かの三島由紀夫が言っていたそうだ。何かの文献をみたわけではなく人から聞いた話なのか、ラジオやテレビで聞いた話なのかも覚えていないが、彼らしい見識に思えたし、ことの真意などどうでもよかった。そのくらいに響いた言葉だった。

 たまに引っ越しするのもいいものだ。古いものも新しいものも懐かしいものも未知なるものも、僕は好きだ。定住なんていらない。

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