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自閉症のAさんが私を殴ってまで伝えたかったのは何だったのか
noteに書くのは2本目になります。今回は、前回の記事の最後に書いた、自閉症のAさんが私を殴り、蹴り、噛みついた理由について考えながら書いてみたいと思います。まだ数日前のことなので、しっかりと自分の中でまとめ切れていません。生の支援の現場のそのままを書き残します。
重度の知的障害を有するAさんとは5年ほどの付き合い。私はこの方から多くのことを教えてもらい、学びの師であると感謝しています。しかし、時折激しい行動障害、周囲の職員や利用者さんに対する他傷行為が起こることがあります。
「〇〇さんに会いたいです」
3月に入った頃からAさんがある特定の職員さんにこだわる様子が見られるようになりました。
Aさん「〇〇さんに会いたいです」(部分的に言葉を鮮明に発せられます)
「〇〇さん」というのはAさんからみて異性の方。支援者ではなく間接処遇職員(事務員さんや送迎運転手さん、調理員さんなど)の方です。実は2年近く前にご自身の事情で職場を退職されています。
Aさんは特性として同一性保持が大変強く、同じことが毎日決まったように繰り返されることを大切にされています。
毎日のスケジュールはもちろんのこと、〇月には野球を見る、〇月には旅行に行く、〇月には神社に行く、〇月は健康診断などの過去から未来にかけて予定が崩れることは苦手です。また、雑誌がない、シャープペンシルがないなど、物の紛失や破損に対して強い不安感を示されます。予定した行動が出来なかったり、物が見つからないと手当たり次第に殴り掛かってきます。
シャープペンシル一本ぐらいと思うかもしれませんが、Aさんにとってそれは、私たちがロックのかかっていないスマホをどこかで落としてしまったという不安や焦りと同じ程度かそれ以上なのかもしれません。またそんな危機的状況をどうやって解決したらいいか分からなくてパニックに陥っているのだろうと理解しています。
〇〇さんはAさんにとってお気に入りの職員さんでした。その〇〇さんが突然いなくなって以来、時折思い出したように激しく〇〇さんを求めることがありました。これまでもその思いに応えないと激しく怒りをぶつけてきていました。
「ゆるさないよ!」
今回も私はご本人の気持ちを受け止めるために「〇〇さんに会いたいんだね」と返答していました。しかし、日を追うごとにAさんの私への確認は強くなり、ある日突然「ゆるさないよ!」とゲンコツで私の頭部を激しく強打。車の運転中だったので危なかったのですが、何とか事故にならずに済むという事が起こります。
これまでも無くなった物や予定が変更することを受け止めてもらえるようにすることは苦労してきました(このあたりのことはまた書きたいです)。
過去には無くなったペンと同じものを購入して用意したこともあったようです。学生時代も含めそうでもしないと危険だったというのがAさんの支援の現実だったのでしょう。私と出会ったころには強度行動障害と言われる行動が随所に現れていました。良しあしは別として、購入して解決できるものもあるでしょうが、退職した職員となると私はどう支援していいか悩みました。
ちなみにAさんがなぜ3月に入って「〇〇さん」を強く意識するようになったのかは何となく理解できていました。Aさんにとって1年の区切りは1月1日、4月1日、9月1日です。過去の経験の中でも人との別れや出会いを経験してきたであろう区切りの時。〇〇さんに最近会えないけれど、4月1日が近づいてきたからまた会えると期待が急激に膨らんだのかもしれません。面白いのが9月1日。まだ若いAさんにとって、学校生活上の区切りは10月1日ではなく、夏休み明けの9月1日なんですね。
「〇〇さんは辞めたんだよ」
私はここで失敗しました。「〇〇さんを諦めてもらえるためにどうしたらいいだろう」と支援の計画を立ててしまったのです。
まず伝えたのは「〇〇さんは辞めたんだよ」という言葉です。
Aさんはその言葉を聞くなり耳をふさぎ、激しく私を殴り、蹴ってきました。殴られ、蹴られ、噛みつかれ、アルコールを目に吹き付けてくるAさん。靴で殴られた頭には5cmほどの裂傷。足も出血して大きなアザが出来ました。危険な行動ではあるものの、これがAさんの思いの表現です。必死で助けてと叫んでいると感じました。
「おうえんしてください!」
こういう状態になるとAさんは「しょうがない?」「くどい?」という言葉を連発します。恐らく過去にこうやって「あきらめるよう」対応されてきたのでしょう。
改めて考えました。そもそもどんなに重度の知的障害があろうとも、Aさんが〇〇さんと会いたいという思いは自由ではないのか。その気持ちを諦めさせるというのは支援なのか?諦めるか諦めないかは本人自身が決めていくことではないのか。
もちろん、物事を諦められるようになることも大事な支援課題かもしれません。しかし、物と人は違うと思いました。
Aさんの思いは何だろう。〇〇さんがいないことは「耳をふさいだ」ことからもAさんは分かっている、だけれども諦められない・・・嫌だ、好きな人がいなくなるのは許せない。
そんな時、Aさんが怒りながら「おうえんしてください!」と叫びました。それまでかけていた「会いたいんだね」という私の返答には、「あいたい」というAさんの思いを否定も肯定もしないものの、どこかでは「会えないだろうけれども・・・」と思っていたのです。
ところがAさんは「会えない」ことも知っていた。そうすると、「会いたいんだね」といくら返答しても、Aさんは納得出来なかった。そう思った時に出てきたのは次の言葉でした。
「まてる?」
わたし「まてる?」
Aさん「まつ?」
わたし「〇〇さんとあえるまで待つAさんは応援できる」
Aさん「まつ!」
この数回のやり取りの直後から、あれだけ激しかった殴る蹴るというAさんの行動がピタリと止まりました。
〇〇さんにはこれからも会えないかもしれません。それでも諦めずに待つというAさんを私は心から応援出来ます。何をどうしたいかは本人自身が決めていくこと。
タイトルに戻り、殴ってまで伝えたかったことは…わかった、とは思いません。しかし、困っていたこと、辛かったことがわかったこと、その事を一生懸命伝えようとしてくれたことはハッキリと分かります。
うまく伝えらえない、ご本人もどうしたらいいかわからない願いや思いをどう支援者が探っていくのか。大きなけがもした今回の経験でしたが、大いに勉強になった数日間でした。
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