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怪物を観て思い出したこと

今日はなんだか辛くてだるかった。どうしても自分の弱さに崩れてしまいそうだった。学校の最寄り駅周辺をふらふら彷徨い、ドトールに入ったり出たり。途中から授業に参加するかしないか迷った挙句、五駅先の図書館で本を一冊読んだ。なんの宛もなく映画館に入った。

さて何を見ようかとスマートフォンで上映中の映画を調べると最近テレビでよく耳をする「怪物」が目に入ったので観ることに決めた。カンヌ国際映画祭受賞作だしな、観とくか、みたいな軽めのノリで観に行ったけど見終わったあとの心持ちは何たるや。
私は終始重みがのしかかっているような、胸を握られたような気持ちで鑑賞していた。

最初のパートはお母さんに完全感情移入して、お母さんの息子を思う悲痛な叫びと向き合わずテキトーにその場を取り繕う教師陣に激しい憤りを覚えた。
しかし次の保利先生目線のパートでは歯がゆさや、なんとも言えないやり切れなさ、自分が知らないところで自分が悪にされ事態を丸め込もうとする周りに息が苦しくなったり。
と、多方面にふつふつと怒りが込みあげる大変胸糞映画ではないか、とも思いながら観ていた。怒りの矛先への閉塞感、窮屈さが直に感じられ観ていてとても辛かった。

この物語の本題に気づいたのは廃墟になった電車の中、星川に転校することを伝えられた湊が「いなくなったら寂しいよ」と言うシーン。一気にそれまでとの雰囲気と違ったほんのり甘い口調になっり子役の演技力に感嘆しながらその意味を理解した。


何年か前、たしか私が高1くらいの時に私は友達からある相談を受けたことがある。その子には中1の頃から付き合っていた彼氏がいて、学年でも有名カップルだったものの、突然別れを告げられたと。少し言いにくかったのか理由を当ててごらんと言われたので探ったが、中々当てられず結局本人から聞くことに。そして私はその彼氏は本当はずっと男の子が好きだったらしいと言うことを聞いた。

私は驚いたと同時にショッキングだったというのが正直な感想だ。身近に当事者がいることは初めてだったし、その男の子は顔の良さでは学年でひとつ抜けていて私自身もファンみたいなものだったので頭が追いつかなかった。

その子によると、小学校の頃からなんとなく男の子が好きなことは気づいていて、それでも色んな女の子と付き合ったりして誤魔化そうとしたがそれでも自分の感情は変えられることが出来なかったと。そして家族内でも、○○のお嫁さんはどんな人だろうねーはやく見てみたいね、などという話題になった時はひとり胸が痛い思いを抱えていた、という内容を泣きながら電話で打ち明けていたそうだ。
私は、そこで初めて同性愛者としての葛藤やむごさ、生きづらさを知った。とても胸が苦しくなった。友達側も同性愛の理解はありながら、知っていて恋愛感情がないまま何年も付き合って今更言うのかと感情がごちゃごちゃだったそうだ。

この話を聞くまで、同性愛者というカテゴリがあってテレビで最近よく取り上げられる問題、多様性だという漠然とした認識でしか無かったものが、これは実際にある問題なのだというリアルを帯びた認識に変わった。
勿論その事は口止めされ、私もそれ以後一切口外したことはない。だが、友達はその事を私に相談し、全て言ってしまうべきだったのだろうか。

中学生の時、『17.3 about a sex』というAbemaTVで配信されていたドラマをなんとなく俳優目当てで見ていたことがある。

中でも印象に残った話が、ある男の子が主人公の女の子にバイセクシャルであることを告白。女の子が友達にそれを話してしまい、それを聞かれてしまったのか、バイセクシャルであることが校内で噂になってしまうという話だった。たしか保健室の先生が、そのような他人のセンシティブな話は安易に漏らしてはいけないと女の子を諭し、女の子は男の子に謝るが…というような内容だった。

だがこの話を見ていたことでその後に相談された内容にも一度はたじろいだがすんなり受け入れられたし、本人と直接話す時も特に何も気にすることなく接することができたのではないかと思う。

私の周りにもLGBTを中心としたジェンダーに関する活動を行っている友達がいるが、それは知識を広めるだけでなく、当事者に配慮した対応だったり向き合い方を私たち一人一人が考えていかなければいけないものだと感じた。
『17.3 about a sex』のように身近な環境に置かれたコンテンツだったり、もっと私たちから差別のある発言や否定的な対応がないように意識していくべきだと思った。

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