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「花のメディア性」を考える

大学でメディア社会学を学んで、新卒で花屋になった

思い立ったが吉日だし、人間流動的なので今はまた別の道に進んでいるけれど
なにも間違ってはいなかったし、あれもそれも血肉になってる

ちょっとあたらしい生活にも慣れて、花屋になって気がついたこと?を思い出したので記録しておこうと思い、pomeraに向かってみた

というわけでpomeraで書くはじめての文章ですこんにちは、よろしくね!

大学時代はTwitter(現X)の分析や、ZINEの作成、ウェブマップの作成などなど・・・
いわゆる「メディア」と向き合って?きたからこそ、入社早々花とそのほかのメディアとの類似性に気がついて、花と向き合たときに花もメディアじゃん・・・!?とハッとした

どのメディアにも、大小の違いはあれど、誰かの思いやクリエイティビティが反映されている

花も、ブーケやアレンジメントにはフローリストの考えや想いが込められているだろうし、生産者さんとお話しさせていただいたときには、どの花も愛情をかけられて、まごころこめて育てられていることがひしひしと伝わってきた

もっと身近な話では、プレゼントするときは相手のことを考えて選ぶだろうし、自宅に飾るときも選んだ花がそこにある様子を想像するかもしれない

そのなかでも、花自身が表現になるときがあるのが花のおもしろみだと思っている

たとえば、コンクリートの地面のすきまから顔を出すど根性系も、花壇の花の茎がおもしろい形であったときも、それは花自身の表現なのではないか?と考えたりするわけである(某誌のコラムっぽくなってきました?)

わたしは、花が毎日違うすがたを見せるのが気に入っている

その点でいえば、特にチューリップやシャクヤクの見応えったらないよ!

好きな花を聞かれたとき、この2種を答えていたのはつまりそういうわけか、
と自分の好みの理由にも気がつく

いけばなをするようになって花のいけかたが前よりもわかるようになったのもあって、部屋にいけるのもたのしくなってた

昨日まで咲いていなかったつぼみが朝になって開いていたり、徒長して昨日とは異なる姿になっていたり、またあるときは元気がないなと思っても、翌日にはまた元気になっていたり・・・

そういうのがおもしろくて、気がついたらフィルムカメラで撮った写真がたまっていて、
その話をしていたら、ある人が「見たいよ!!!?」と言ってくれたので、Instagramにあげてみている。のが、今です

それぞれの写真はわたしが創った空間のことでもあるし、その一瞬にしかみられない花のすがたを残したものでもあって、なのでわたしの想いといえばそうだし、花の想い?といえばそれもそうなのだと思っている

あまり習慣にないと、わざわざ花を買う/花屋に立ち寄るということはないかもしれないけれど、一輪からでも買えるし、もしどこかで気に入った子に出会えたらそのときだけでも迎えいれてもらえると、有機物のおもしろさに共感してもらえる気がします

いろんな表現をこさえたメディアの試みとして、
見てもらえたら嬉しいかも。
また環境を変えて空間に変化が出てきたので、
それもいつかお披露目される予定です

それではいつも、また気が向いた頃にー

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