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【れぽ】イヴ・サンローラン展 ー時を超えるスタイルー

▷イヴ・サンローラン展

先日、国立新美術館で開催されている「イヴ・サンローラン展」に行ってきました。
サンローランの幼少の頃から、現代に続く自らの「イヴ・サンローラン」まで彼の人生と共に振り返る日本初の回顧展です。

▷イヴ・サンローラン

フランス領アルジェリアに生まれ、「ディオール」に就職したイヴ・サンローランはクリスチャン・ディオールの急死を受け、ディオールのデザイナーとして華々しいデビューを果たしました。
「モードの帝王」とも称された彼は、最初のコレクションから数々のコレクションで独創的で斬新なデザインを発表しましたが、1960年のアルジェリア独立戦争での徴兵をきっかけに神経が衰弱し、ディオールを解雇されてしまいます。
しかし、これをきっかけに彼は自身のオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を立ちあげ、これが現在まで続く「イヴ・サンローラン」となっています。

▷幼少期〜青年期

彼は上流階級の生まれで、内気な性格でしたが絵を描くことをとても好んだそうです。
13歳で、『愛について語るのはなぜ?』という本を制作し、自ら挿絵も書き込みました。
また、16歳の頃には「紙のクチュールメゾン」を制作しました。これは彼の母が読んで
いたファッション雑誌などをもとに作られた11点のペーパードールと紙で作成された500点を超える服やアクセサリーです。これらは細やかなデザインが描かれていたり、生地や材質が判別できたりと非常に精巧に描かれていました。
さらに18歳の頃にはパリで行われた国際羊毛事務局主催のコンクールのドレス部門でカクテルドレスを発表し、見事3位に選ばれました。
これらのことから、幼少期より、絵やデザインの才能を遺憾なく発揮していたことがわかります。

▷ディオール時代

彼のポートフォリオを見た当時の『ヴォーグ』編集長がディオールのデザインとの類似点に気づき、彼をディオールに紹介したことがきっかけでイヴ・サンローランはディオールへの就職が決まりました。当時の彼の独創的なデザインはクリスチャン・ディオールにも大きな影響を与えたそうです。
その後、1957年にクリスチャン・ディオールの急死を受け、21歳という若さでディオールの主任デザイナーに抜擢されました。
最初のコレクションでは、短い袖、膝丈のスカート、台形のシルエットなどの特徴を持つ、トラペーズラインを発表し絶大な人気を得ました。そのほかにも布地が少なく、軽やかなアプローチや流線的なライン、緩やかなシルエットなどを特徴とし、ディオールのスタイルを抜本的に変化させました。

▷自らのオートクチュール

サンローランはディオールを解雇されたのち、ピエール・ベルジェの協力もあり、自身のオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を設立しました。
男性服を女性服として取り入れるといった斬新さを特徴としました。
水兵の仕事着から着想を得たファースト・ピーコートは金色や宝石でできたボタンやエレガントなパンツとミュールなどを組み合わせることで女性らしさを演出しています。
また、刺繍やフェザーを取り入れた芸術性の高いデザインや、ピカソやゴッホ、ドラクロワなど、美術の世界で名を残した彼らの作品をオマージュしたデザインも発表するなど多岐に渡るデザインで高い評価を受けました。

芸術家たちへのオマージュ
(上段右からピカソ、ポップアート、下段右からブラック、マティス)
芸術家たちへのオマージュ
(上段右からボナール、ブラック、マティス、下段右からブラック、ピカソ、ポップアート)

▷イヴ・サンローランと日本

各国の伝統的な衣装から着想を得たデザインを発表した彼は日本に強い興味を抱いていました。
ディオール時代から日本製の絹織物に金の刺繍を施すなど、日本への興味が感じられるデザインを発表していた彼は1963年、ついに日本の東レとの契約を成立させ、東京や京都へ来日し、西武百貨店との契約も果たしています。
日本のファッション誌『装苑』に掲載されたり、三島由紀夫の『肉体の学校』の中に記述が出てきたりと、当時の日本にも彼とそのデザインが浸透していたことがわかります。
また、日本を愛してくれていた彼はこんな言葉も残しています。

「早くから私は日本を探し求めていた。そして歴史がありながらもモダンなこの国にすぐに魅了され、それから幾度となく影響を受けてきたのである。」

イヴ・サンローラン

▷むすび

ここまでお読みいただいた読者の皆さん、ありがとうございます。
幼少の頃より才能を遺憾なく発揮し続けたイヴ・サンローランの現在に至る人気は彼の独創性そして、努力の賜物だと感じました。斬新なデザインを次々と発表した彼の人生を少しずつ紐解くことができる良い体験になりました。
また、彼ほどの世界的なデザイナーが日本に大きな興味を抱いていたとわかると、日本にもまだまだ可能性がたくさん詰まっているのかなと、少し考えさせられるような気持ちになりました。

p.s.) 来年はより多くの展覧会、美術展、博物展などを訪れ、みなさんと共有したいなと思っていますので引き続きよろしくお願いいたします。

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