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連続性日常の記憶

 趣味無し人間になる恐怖が思考を埋め尽くしているので、noteを続けてみることにする。

 とはいえ、書くべきことがあるわけでもない。お分かりのように、テーマも決めずにただキーボードを打鍵しているのだ。
 日常の中にある小さな面白いことを書く──のが自分なりの”日記”だとか、そういう類のものだと思っているのだが、これは想像しているより難しい。

 書くという行為はやぶさかではないが、記述する題材を発見するのが大変だ。しかもそれを、インターネットに残す以上は面白おかしく書く必要がある。

 例えばこうしよう。今あなたは外に居る。風が吹き、太陽が暖かい光を照らす休日の公園。新緑の木々の下で、遊んでいる子供達の声が耳に入る。ふと空を見上げると、青色の空というキャンバスを、白色の雲が染めようとしている。
 そんな時。あなたの眼の前に鳩が飛んできた。人馴れしているその鳩は、さして驚く様子も逃げる様子もなく、まるでそれが当たり前であるかのように、あなたの近くをくるくると回っている。
 あぁ、なんと平和的な光景なのだろう。陽気な空気が貴方を包み込んでいく……。

 さて、この体験を、インターネット受けするような文体で書くとしたらどうなるだろうか。難しいと思うのではないだろうか?
 私は、インターネット上に日記を書ける人間を尊敬している。なぜなら、このように、”面白おかしく当たり前の出来事を書く”というのが難しいから。

 試しにやってみよう。

『オウイェイ! 今日オレっちはラーメンを食べたぜイェア! だがバッドでサッドなフィールを感じたんだ! ホワッツ!? 理由を知りたいのかベイベー! オレちゃんの魂のシャウト魂に刻んでいけやァ~!』

『塩分多すぎラーメン、ファ○ク!(ここからメタリカのFuelのイントロ)』

 と、このようになるのだ。インターネット最高!(ここからFuelのAメロ)


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