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本当にほしい「いいね」


「いいね!」


相手にいいねを伝える時、いまの時代、♡マークひとつ、タップひとつでできるようになった。

友達の投稿に、いいね。

好きなアニメの公式アカウントに、いいね。

芸能人の投稿に、いいね。

クスっと笑える投稿に、いいね。

動物のかわいい5秒の動画に、いいね。

よく知らない人のひとりごとに、いいね。


どれも、同じ、「いいね」だ。


「いいね」と思っていなくても、いいねを押す。


「いいね」の価値が、下がっているように感じる。もちろん、そのいいねも、簡単につくことはない。フォロワーのいないアカウントでコメントをしても、誰もいいねは押さないし、見られることもない。

YouTubeでおもしろくない動画を上げても、いいねはもらえない。動画については評価であるから、いいねをもらうことはさらに難しい。

それに対し、ツイッターの投稿へのいいねは共感に近いのかもしれない。しかし、相手の話を聞いていなくても、「うんうん」とうなずくとはできるのと同じように、ほとんど読んでいなくても、「いいね」はできる。いや、それが大半だろうか。それがいわゆる「いいねシステム」だ。

たくさんの「いいね」がついていても、それが本当にいいものかどうか、わからない。みんながいいねと言っているものが本当にいいモノかなんてわからない。そんな言葉に、みんなもう聴き飽きているだろう。

しかし、自分の判断が間違っていたと思いたくないから、いいねと思っているものに同調する。みんながいいねって言ってたから!って後から言えるから。

本当に後悔しないのは、自分自身で決めた判断だけだと、きっとみんな気づいてるのに。


「いいねの数こそがその人が与える影響力の大きさだ」という人もいるかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。

例えば、「1万いいね」を達成したツイートの発言者をあなたはフォローしているだろうか?フォローしなくとも、アカウント名は覚えているだろうか?性別は?数時間前にしたRTの投稿内容は?

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言わなくともわかると思う。それが答えだ。

なにひとつ覚えていないのだ。そんなものを影響力とは呼ばない。同調力だ。

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昨日、親友と久しぶりに電話で話しをした。大学時代は毎日のように話していたので、最近話せていなかったから、まるで栄養補給したような気分になって、彼と話していて私は思わず、

「いいねぇ~!やっぱり○○君と話すのは最高に楽しいよ」

「うん、いいねぇ」

「いやあ、いい。」

ちなみにこの会話の主はすべて私だ。



心の奥深くから気持ちが溢れ出してくるように。

こぼれるように「いいねぇ」が出てきた。

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軽い気持ちの、いいね。

深い気持ちの、いいね。

暖かい気持ちの、いいね。

ひんやりとした、いいね。

きっといいねにも、いろんな形や、味や、色や、温度や、香りがあるのだろう。でもわたしは、味気ない「いいね」はいらないや。

だから、私の投稿を読んで、本当に「いいね」と思った時に、「いいね」を押してもらえたら、私は嬉しい。

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「でもそれだと、本当の「いいね!」とそうでない時の「いいね!」の区別がつかないのでは?」

どうだろうか。これには以前紹介した、私の高校の先輩のゆりさんとお話した時のことを紹介させてほしい。ゆりさんはこんなことをお話してくれた。

「伝えたいと思ったら、ほんとうにいいなって思ったら伝えたくなるし、最初に一言、読んだよ!って伝えると思うんだよね!」

私は彼女の書く文章がすごく好きだが、本当にいいなって思うのだ。文章に想い、意志、力強さを感じる言葉を紡ぐ方だなと。

きっとそう意識して書いているのかもしれないし、そんなことないよと、おっしゃるかもしれないけれど笑

きっと、心の底から「いいね」と思うものには、言葉やマークだけでは見えない、感じることしかできない部分もあるはずだと私は思う。

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それは、知らないの人からの100のいいねより、大切な人からの1つのいいねが嬉しいと思った、少し曇った午後のお話。


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