毎日の食卓に変化は必要ない「欲」ではなく「必要」を重視した食生活を。
私が食事に関心を持ち始めたのは20歳前後のことだ。整体、民間療法への興味から食養生を学び始めた。ちょうど、一人暮らしを始めたこともあり、毎日何を食べたらよいかに関心を持っていた。そのころによく読んだのは、丸元淑生氏の本だった。
世界の様々な伝統食について知ったことが、食事に対する意識を変化させた。世界には、アミノ酸のバランスが良い「豆と穀類」を基本にしたシンプルな食事をとっている人が多い。毎日の食事はそれほど変化に富むものである必要はないのだ。そんなこんなで、しばらくは、チャパティとレンズ豆のスープを基本の食事にしてた(今では、それなら玄米とみそ汁で良いのでは?と思うけど。)
ともかく、そういう食生活における「伝統」が忘れ去られているところに、今の食生活の問題があるのだ。その考えを、思い出したのは、シェフの金井氏の本を読んだから。頷けるところがあり、色々マーカーを引いた箇所があったので紹介したい。
食事の意味
美味しさだけを追求していくと、栄養のバランスを保てなくなる。極限まで美味しさを追求したのが「うまみ調味料」だ。人間の舌はそれほど鋭敏ではないから、こうした化学物質でも十分「うまい!」と感じる。美味しさを追求すればするほど、濃い味、刺激の強い味を求めがち。純粋に身体が必要とするものから、それて行ってしまうのだ。
主婦は毎日の食事を変化に富むものにするのに苦労があるはずだ。子供のお弁当でさえ、大いに凝らなければならない圧力がある。でも、本当にそんなに必要なんでしょうかね?と問いかけたい。大事なのは、日々の「からだの基本をつくる」食事だ。
美味しくても、そうでなくても、毎日、基本的な食事を摂ることで体を作り、維持していくことができる。この視点が欠けると、料理を作る人も、食べる人もともに苦労する。
メニューは決めてしまっても良い
最近、一汁一菜が再び脚光を浴びるようになっている。毎日、苦労して、ご主人の舌を満足させるために凝ったレシピを探す必要はない。ハレの日ではない普通の日は、一汁一菜でまったく構わない。
同じものを食べるからこそ、微妙な体調の変化もわかる。不思議なことに、本当に身体の「必要」に沿っている食事は、何度同じものを食べても、飽きたりはしない。その都度、お腹はグ~となりますし、食べて美味しいと感じる。美味しさを無限に求め続けるのは「欲」だ。本当の「必要」ではない。そのことに気が付くと食生活を変えられるようになる。
完全栄養朝食
我が家の誇りは、ヨーグルト+プロテイン+チアシード+バナナ(リンゴ)の完全栄養朝食だ。毎日、毎日、基本的に同じ食事だけど、お腹がグ~っとなり、美味しくいただけるとその日の体調がよくわかる。本当に身体に必要なものを摂取していると「飽きる」という感覚はない。
現在は、主に朝食にプロテインをしっかり摂ることを食事法の核にしている。5年間の記録をまとめてみた。
型があると食生活は安定する。シェフが特別な体験を提供するために作る食事と、主婦が作る食事は違う。バラエティに富んだ食卓を作り続けるのは、主婦にとって拷問だ。人間って、それほど「必要」なものは多くは無い。そして「必要最低限」でも、実は大いに満足できるのだ。そんなことを最近考えている。
大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq)