0001_孔子_本当の過ちとは一体なんなのか?
過ちて改めざる、これを過ちと謂う
― 過而不改、是謂過矣 ―
人間だれしも過ちを犯すことがある。
だから、過ちを犯したからといって必ずしも責められない。
問題はその後処理である。
われわれは往々にして過ちだと知りな がらそれを認めず、口をぬぐって知らぬ顔の半兵衛をきめこんだり、居丈高になって居直ったりしがちだ。
そしてまたそれを後悔したりする。
孔子はまた、「過ちては則ち改むるに憚るなかれ」とも語っている。
過ちを過ちとして認めることから人間の進歩が始まるのかもしれない。
厄介なのは、自分で自分の過ちに気づかない場合だ。
気づかなければ、また同じ過ちを繰り返す恐れがある。
人から過ちを指摘されるのはいやなものだが、実はそういう人がいてくれるというのは有難いことだ。
若い人を見ていて、これは将来伸びそうな人間だなぁと思われるのは、率直なタイプが多い。
そういうタイプは、よく人の意見を聞くから、孔子のいう「過ち」を犯すことがないのである。
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