ユウディー

良か余暇(よかよか)巣篭もり(自粛)していますか?w 今年は『青天を衝け』で流行るであ…

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良か余暇(よかよか)巣篭もり(自粛)していますか?w 今年は『青天を衝け』で流行るであろう論語がキッカケでは御座いますが、世界的に低迷している『道徳』を学んでいます! 常識の変化は今まで以上に激流となり、五里霧中する人々が激増していく時代ですが、道徳こそ永劫不変の武器である!

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0007_孔子_手前の利益は小さいぞ

小利を見れば、即ち大事成らず ― 見小利即大事不成 ― 孔子の弟子に子夏という人物がいた。 その子夏が莒夫(きょほ)という町の長官に任命されたとき、政治の取り組み方について孔子のアドバイスを求めたという。 孔子はこう答えている。 「速やかなるを欲するなかれ。小利を見るなかれ。速やかならんと欲すれば、即ち達せず。小利を見れば、即ち大事成らず」 念のため訳せば、つぎのようになる。 「あせらぬこと、そして小利にまどわされぬことだ。あせると仕損じるし、小利にまどわされる

    • 0006_孔子_まだ遅くない

      吾、十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず ― 三十而立、四十而不惑、五十而知天命、 六十而耳順、 七十而従心所欲、不踰矩 ― あまりにも有名なことばなので、知らない人はいないかもしれない。 念のために、全文を記しておくと、つぎのようになっている。 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(

      • 0005_孔子_失敗する人の特徴とは?

        小人の過つや必ず文る ― 小人之過也必文 ― 「文る」とは、表面を取り繕うことである。 だから、「小人は、失敗をやらかすと、取り繕うことばかり考える」となる。 孔子の弟子の子夏という人物が語った言葉だという。 「文る」ことが何故まずいのか。 第一に、どうしてこんな失敗をやらかしたのか、その原因を究明しようとする姿勢に欠けるので、二回、三回と同じ失敗を繰り返す恐れがあること。 第二に、失敗したことに対する反省がないので、人間としての進歩も向上も期待できないことだ。

        • 0004_孔子_人格者としての根底とは?

          己の欲せざる所は、に施す勿れ ― 己所不欲、勿施於人 ― 就職試験ではないが、「きみの信条は何か」 と聞かれて、むにゃ、むにゃ、と口ごもってしまうのでは、いささか淋しいような気がしないでもない。 信条というのは、努力目標である。 これは誰の人生にもあったほうがよいだろう。 ところで、孔子の信条は、「恕」という言葉であったらしい。 あるとき、子貢(しこう)という弟子から… 「この一言なら生涯守るべき信条とするに足る----そういう言葉はありましょうか?」 と訊ね

        0007_孔子_手前の利益は小さいぞ

          0003_孔子_他責とせず堪忍しながら自分を磨け

          位なきを患えず、立つ所以を患えよ ― 不患無位、患所以立 ― いつまで経っても管理職になれない。 重役にしてもらえないと嘆くまえに、そういう地位に相応しい実力をつけるように先ず努力しなさいというもの。 これを語った孔子という人は、しかるべきポストについて自分の腕をふるいたいという願いを人一倍もっていた人である。 しかし、彼の人生は概ね不遇で あって、その願いは満たされなかった。 多分彼も、「位なきを患う」という気持ちになったことがあったに違いない。 この言葉は、

          0003_孔子_他責とせず堪忍しながら自分を磨け

          0002_孔子_本物の育成方法と成り方

          憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず、一隅を挙ぐるに、三隅を以つて反せずんば、則ち復びせざるなり ― 不憤不敬、不悱不発、挙一隅、不以三隅反、則不復也 ― 近頃「自己啓発」ということがさかんに叫ばれているが、「啓発」の語源がこの文書である。もともとは孔子の教育方針を語った言葉だ。 「憤」とは、やる気がもりあがってきた状態、「悱」とは、言いたいことが口元まで出掛かっている状態をいう。 だから、全体の意味はこうなる。 自分で考えて、問題を解決しようとする意欲がわかなければ

          0002_孔子_本物の育成方法と成り方

          0001_孔子_本当の過ちとは一体なんなのか?

          過ちて改めざる、これを過ちと謂う ― 過而不改、是謂過矣 ― 人間だれしも過ちを犯すことがある。 だから、過ちを犯したからといって必ずしも責められない。 問題はその後処理である。 われわれは往々にして過ちだと知りな がらそれを認めず、口をぬぐって知らぬ顔の半兵衛をきめこんだり、居丈高になって居直ったりしがちだ。 そしてまたそれを後悔したりする。 孔子はまた、「過ちては則ち改むるに憚るなかれ」とも語っている。 過ちを過ちとして認めることから人間の進歩が始まるのか

          0001_孔子_本当の過ちとは一体なんなのか?

          0000_徳川家康_現世の僕たちへ

          家康が実践していた教訓であり、後世の日本人への遺産としての教訓ともされている。 本文は以下である。 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるよりまされり。 この意味は、おおよそ次のようなものです。 人の一生というもの

          0000_徳川家康_現世の僕たちへ