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心理学コラム/美人は得か?

「最近はじまったキム○クのドラマ観た?」「キ○タク好きじゃないんだよね。だって性格悪そうじゃない?」「あー、わかるわかる(笑)」
先日、電車で隣に座っていた人たちの会話です。役柄はともかく、彼の性格はいわゆる業界人や友人、親族でもない限りわからないでしょう。そして、おそらくその方々は業界人でも友人でも親族でもないと考えると、ドラマで観た印象だけで無責任に性格が悪いと判断し、笑いながら話題にしていたということになります。あらためて考えてみるとひどい話ですね。もちろん彼は多くの人に支持されている大スターですから、人格者だと思っておられる人の方が多いと考えられ、先の方々は単に嫉妬しているだけ、とも言えそうです。いずれにしろ私はファンというほどではありませんが、彼に好感を持っていることもあり、有名人は色々大変だなといらぬ同情をしてしまいました。

電車内の他愛ない会話ですから目くじらを立てるほどのことではないかもしれませんが、このようなことは著名人に限らず、自分の周囲の人についても少なからず起こっているのではないかと思います。今回は身体的魅力が及ぼす影響についてお話します。こうした研究は古くから行われており、いわゆる「美人は得か?」という実験です。皆さんはどう思われますか?

トロント大学のマイケル・エフランは、学生による模擬陪審員団をいくつも設け、カンニングをした容疑者について判断をさせたそうです。その結果、被告が魅力的な容姿だった場合の有罪には確信が乏しく、軽い罰が与えられる傾向があったそうです。また、魅力的な容姿の人は評価が高くなる傾向があることは広く知られているのではないでしょうか。これはハロー効果という現象で説明できます。後光効果、光背効果とも呼ばれます。一部の顕著な特徴に引きずられて他も高く(または低く)評価されてしまうことを指します。魅力的な容姿だと性格も好ましく、実力も備わっていると思われてしまうというようなことです。CMに好感度の高いタレントが起用されるのは、この効果を期待してのものと言えるでしょう。

「美人は得だ」と言えるのか

賛否分かれるところですが、美人が得かどうかはやはり単純には決められないようです。容姿端麗の方は相手が勝手に期待した高い実力を持ち合わせていないと、必要以上に落胆される、または幼少の頃から周囲の期待が大きく、努力を強いられて辛かった、目立つのでセクハラの標的にされた、同性からの嫉妬で、あらぬ噂を流されて人が寄り付かなくなったなど、苦労はあるようで、一概に得だとは言えません。マイノリティ(少数派)であるがゆえの迫害を受けることがあるようです。

一方で、私たちはさまざまな情報を元に他者を評価しています。これは印象形成と呼ばれています。顔だけなく、声、表情、身長、体型、服装、身振り、雰囲気、におい、周囲の噂などです。他者に関する複数の情報からその人の全体的なパーソナリティを推論しています。また、印象形成の過程には先のハロー効果(美人だから頭も良いだろう)や、ステレオタイプ的認知(黒人は足が速く、リズム感が抜群)といった、様々なバイアス(偏見)が混じりやすいことも指摘されています。要するに、他を圧倒するほどの際立った美貌でない限り、一般的には他の要素も加味して評価される、ということではないでしょうか。また、際立った美貌の持ち主は、最初はその存在感から注目を浴びますが、それ以外の要素を磨いていないと大きく評価が下がることがあり、評価され続けている人はそのための努力を日々続けており、何もせずに評価されている(得をしている)わけではないと私は考えました。

幸い私は美貌を持ち合わせておりませんので、得だと感じたことはありません。私のような平凡な容姿の人は、他者から好印象を持たれる、せめて悪い印象を持たれないために、この印象形成を意識するのが得策のようです。それは特別なことではありません。

不潔よりは清潔でいる方が他者へ与える印象は良いのが一般的ですから、高級でなくても清潔な服装に気をつけ、靴を磨き、正しい姿勢で歩く、丁寧な言葉遣いと笑顔を心がけるだけでも相手に伝わる印象は変わり、評価は高くなります。意識してみてはいかがでしょうか。また、組織人事の採用担当の方にとっては釈迦に説法の話題かもしれませんが、人物選考の際は外見の印象に引きずられ過ぎないようご留意いただければと思います。

余談ですが、先の実験では、魅力的な被告人に対して寛大であろうと努める傾向は、被告人が若い美人、陪審員が全員若い男性である場合が特に著しかったそうです。男性は愚かというか、単純だなと思ってしまいました。

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