メンタル不調の書かれ方|同じことを何百回、何千回とやっていく先に回復がある。『生きてりゃ踊るだろ』/辻本知彦

 辻本知彦はコンテンポラリーダンサーである。『パプリカ』や米津玄師のMVの振付師といえば、「あぁ」と思ってくれる人も少なくないだろう。
 わたしが彼をもっとも近くで観たのは、たぶんコロナ禍の少しまえ、「きゅうかくうしお」(森山未來とのユニット)の舞台。なんかいろいろしゃべりながら縦横無尽に舞台を踊り回っていて、すごく楽しそうだった。坊主頭で関西弁、体格もよく、パッと見ではちょっと怖い人かもしれない。でも舞台を見て「すごく柔軟な筋肉を繊細に使える人なんだなぁ」と感じたことを覚えている。

 辻本がダンスを始めたのは18歳、プロダンサーを目指すには人よりちょっとスタートが遅かったが、著書を読む限りではかなり戦略的に体づくりをしたり、観せ方を工夫してきたようだ。かなり頭のいい人なんだろうなという印象をもった。

 そんな彼は32歳くらいで突然の抑うつに苦しんだ。ハイブランドのチャリティーイベントにゲスト出演したものの、強い違和感が残った。

客層の質感がまったく違ってお金の匂いしかしなかった。企画の社会的な意義を感じてキレキレのパフォーマンスで臨んだものの、僕のダンスを観る人なんてほとんどいなかった。実力よりも知名度が優先される世界だった。

ふと、自分がどれだけ真剣にダンスをやっても世の中でたいして観る人もいなければ、関心をもつ人もいない。どこにも届かないと思ってしまった。何をやっても一緒で、世界は変わらないんだな、と。


 起き上がれなくなり、4か月ほどは踊るどころではなくなった。一時は死も頭をよぎったという。
 復調のきっかけとなったのは、翌年にスケジュールが入っていたミュージカルの仕事。初めは乗り気ではなかったが、支えてくれる周囲の人間の存在、そして自分でなくては成立しない仕事という思いが助けになったという。公演期間中も全快とはいかなかったが、

イチローのように毎日やるってすごいんだなぁ。同じことを何百回、何千回とやるのは本当に素晴らしい。

と感じたことから、こころの元気を取り戻していくこととなった。

 ちなみにこの本を読んで初めて、振付師とサイコセラピストには共通点があるのだなぁと気づいた(わたし自身は、踊りはするが振付はしない)。辻本いわく、振付の現場では何より繊細なコミュニケーションを重視しているという。

そこで起きた相手の体の変化、動き、表情などを見て、また次の言葉が決まる。リアルタイムに生成されていく相手の変化に応じて、こちらで受け止めた感覚をまた投げかけていく。アーティストの内的な感覚にふれてものをつくり出すとは、この地道なキャッチボールの繰り返しにほかならない。

こころに残った一文


究極のところ、人はダンスを通して、踊り手の魂や心を見ている。
 

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