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僕を変えてくれたアメリカの1ヶ月

初海外へ。

大学2年生の夏。かねてより海外に猛烈なあこがれを抱いていた僕は、大学の1ヶ月の語学研修プログラムを使って20歳で初めて海を超えた。
選んだ国はアメリカ。
理由は「カッコいい」から、ただそれだけの理由だった。

丸一日をかけて着いた。小さい時から憧れだった国である。私の父はアメリカが昔とても好きで、いまから約40年前の時代にアルバイトでお金を貯めては放浪してたらしい。(ちなみに行く当てなくフラフラするのは僕も好きなので、これは父のせい)

現地の滞在はホームステイ形式で、僕はマシューというホストファザーにお世話になることに決まった。出会った第一印象は「優しそうな人。」家には他に日本人が2人住んでいた。彼は離婚しており週末だけ小学生くらいの息子2人が来ることになっていて、謎の愛人?幼馴染み?も1人住んでいるそんな少しカオスな家であった。明後日からはいよいよ授業がスタートする。

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アメリカの空港にて。
こんなの寿司じゃないだろお!

喋れない

授業が始まった。それなりにコミュニケーションを取ることには自信があったが、いざ始まってみると意見を自分から述べられない。先生から求められた時はそれなりに話すが、自分の主張したい言葉が出てこない。

授業が終われば、ヨーロッパ人たちは男女でワイワイしてる陽キャたち。
昼ごはんは最初ずっと1人で食べてた。ビビリな僕はとても自分から話しかけにいくことなんて当時はできなかった。「このままでは何も得られずに終わる」そんな焦りのような諦めに近い感情を抱いていた。

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授業終わりに1人でぼーっとしてた湖畔。


小さな変化

このままではマズい。そう思っていた僕は少しずつ自分のビビリを振り払って話しかけていくことにした。意識していたことは恥ずかしさをや余計なプライドは捨てること。すると、イタリア人やマカオに住む友人ができ、ホストファザーは相変わらず優しくて色々なことを話してくれた。

少しずつ僕は海外にいる生活が楽しくなってきた。何より英語を使うことが楽しくなってきた。

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旅の終わり

約1ヶ月のアメリカ研修は
あっという間に終わりを迎えた。
僕は家を離れる前日、ホストファザーに手紙を書いて渡した。なぜかその瞬間、この短い間だったにも関わらず号泣してしまった今までにあまり経験したことがない不思議な感覚であの時のことは3年経った今でも鮮明に覚えていて、いつか必ず会いに行くと決めている。

元気にしてるかな。

僕たちは自分で環境を変えられる

とてもとても濃いこの経験から
私が学んだことは1つ。

「環境は自分の手で作るものだ」

ということ。
海外に行けば、スクールに通えば、絶対できるようになる!そう思っている人は私がかつてそうだったように多いと思う。けれどそれは幻想だ。

たとえ憧れの場所に行こうが、スクールに通おうが行動を起こすのは自分自身でしかない。アメリカに行ったとしてもその地で自分から行動を起こさなければ日本にいる時と1ミリも変わらない。これを痛いほど痛感した。

語学もきっとそうだと思う。日本に居るから、スクール通えないから、そんなことを言っていてはいつまで経ってもできるようにはならない。

僕はこれからも自分で環境を選び、責任を持っていまできることを全力でやっていきたい。きっとその先に憧れていた「ミライの自分」に出会えると信じて。

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ホストファザーのマシュー

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