「旅人」として生きる。
家から大学までの距離は往復10キロ。
大学生にして、その距離を自転車で毎日通う男の名は「吉住寛人(よしずみひろと)」である。
驚くべきことにインタビューの前日まで沖縄を旅し、今度は北海道をキャンピングカーで一周する計画だという。ゆくゆくはヨーロッパ留学、そして世界一周をも目指しているそう。そんな彼の並外れた行動力は、一体どこからきているのだろうか。
とにかく迷子になる幼少期
吉住さんは、1999年に長崎県で生まれた。昔からとにかく好奇心が旺盛な子供だった。
家族でご飯を食べていても、気がつけばどこかに一人で行っている。親から見れば立派な「迷子」であるが、当の本人はそんな自覚は一ミリもない。小学校5年生くらいまでは、出かけるたびに迷子になるくらい好奇心に溢れ、何かに熱中した。
極めつけはグアムで迷子になったこと。(本人は自覚はなかったそう)旅人としての原点は、こんなところにあるのかもしれない。
「自分らしさ」を抑えた中学時代
そんな気の向くままに過ごしてきた幼少期だったが、中学生になると環境が一変する。地元の長崎ではあるが、小学校の同級生とはほとんど離ればなれになった。
コミュニティが大きく変わり、学校の友達とも馬が合わなくなった彼はいつの間にか、人前で自分をさらけ出すことを我慢するようになっていった。
そんな不遇とも言える中学時代だったが、彼には居場所があった。それはサッカーだった。グラウンドでは自信を持って自分を表現することができた。この時の経験は、今でも役に立っている。
悔しさや環境をバネにした青春
そんな中学時代を終え、無事に地元の進学校と呼ばれる高校に入学。しかし、ここでも彼は様々な壁にブチ当ることとなる。
まずは部活。高校は内部進学組、そして外部からの入学組もいる学校であった。当然そのままサッカー部に入学したが、外部からはレベルの高い選手が多く入ってきた。最終的にはレギュラーを獲得したものの、他の選手との実力差を感じ「しんどいことも多かった」部活生活であった。
一方学業では、高校二年生になるタイミングで独自のコース配属というものがあった。280人中、上位80人だけが頭の良いコースとなる。そこで彼は、ギリギリ上位80人から漏れてしまった。
この時の悔しさは彼に火を付けることになり、徐々に学業でも成果が出るようになっていった。負けたくないという気持ちは、自分にとってモチベーションとなることも学んだ。
楽しかった浪人時代
学業も悔しさをバネに努力を重ねていった高校時代。いよいよ大学受験となるわけだが、最も大事な試験の前日に発熱。100%の実力が出せず、第一志望の大学を落ちてしまう。
しかしそこで彼は妥協せず、浪人生の道を選択。予備校では運よく仲間と巡り合えたり環境にも恵まれ、無事に九州で一番の大学の合格を勝ち取った。この時に「環境の大切さ」を学ぶこともできた。
苦労を超えて、今。
大学1年生の昨年は「高校までとは違ったことをしたい。そして旅をしたい」との思いから部活動やサークルには所属せず、学生団体への所属を決意。当初は活動に前のめりではなかったものの、そこは一度のめり込むと熱中する性格。
徐々に面白さを見出し、活動を通して行動範囲、そして仲間の輪も大きく広がっていった。1年間の任期を終え、現在はコロナにも配慮しながら活動の幅を広げていっている。
「学生の間にヨーロッパに留学、そして世界一周をしたい。将来的には旅人として生きていきたい」
そうインタビューでは語ってくれた。
大学では学んでいる経済に加えて旅、そして人が幸せに生きるために何が必要なのか?もこれから勉強する予定である。その答えは旅の中にあるのかもしれない。
中学時代、卒業アルバムの
「生まれ変わるなら何になりたい?」には
当時は定義や意味も分からぬまま"旅人"と書いた。
「旅人・吉住寛人」への道は、まだまだ続いていく。
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