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失語症文化論仮説La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia   7章 「わかったふり」気遣い・支配 3.「失語症者へのわかったふり」から

3.失語症者への「わかったふり」から    
 このように話し手と聴き手の関係は、話す内容そのもの以上よりも雄弁である。
 その場の空気を取り仕切る人が言うことならば、たとえ納得ができなくても、わかったふりをして頷いておく。
 そして、このわかったふりをすることに、自覚がないほどに日常に馴染んでいる。

 全くわかったふりをせずに過ごすことで支障をきたすであろうことは、予想がつく。親しい相手と「全てを詳細に話さなくても、なんとなく伝わっている」ことに安心感を覚える。
 しかし、わかったふりをすることによって 「自分の考え」までが曲げられることに馴染んでしまうことに筆者は危惧を抱く。

 そして、失語症者が言っていることがわからなくても、わかったふりをする。わかったふりは、これまでにも述べたように自覚がないほど日常に馴染んでいる。
 失語症者に何ごとか伝えるときに、第4章で例示したように、失語症者にリハビリの時間の変更を伝える場合など、必要以上に大きな声で話したり、二人掛かりで話して、「これだけ言ったのだから、きっとわかるはず」と思い込むことが、相手に合わせて伝えることの妨げとなっている。

 筆者は失語症者には文化があるという仮説を立てた。それは「スラスラ話さなければならない呪縛からの解放」とした。
 呪縛から解放には、これらも内包する。
①空気を読まずに伝えてみようという自由さ
②伝わっていないことを受け入れる柔軟さ

 失語症者文化を模索する中で、私たちにとっては支配関係の中での「伝える・伝わる」こそが脱したい呪縛ではないだろうかということに行き当たった。
 そして、「失語症者へのわかったふり」に目を向けることが、私たち自身が行っている「伝える・伝わる」を捉え直す機会になることを期待する。

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