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洗えていないお茶碗

老いた両親と暮らすということは、いろいろなことに目をつぶらなければいけない。



昨日(土曜)の朝ごはんは半熟目玉焼きだった。
母は白いお茶碗によそったご飯の上に目玉焼きを乗せ、お醤油を垂らして食べていた。(美味しいよな。私は別々に食べるのが好きだけど。)








お昼ご飯は、冷蔵庫にある残り物とお漬物をおかずにして食べた。
私のごはんは、母がすでによそってくれていた。
私の目の前にあるお茶碗は、今朝母が使っていた白のお茶碗だ。


話は逸れるが、我が家は母の趣味で食器が大量にある。
それもシリーズやテーマが揃ったものではなく、一つ一つ違うものばかりで洗いにくいし片付けにくい。
よく言えば一点物だが、私にとっては不揃いで扱いにくい物ばかり。
その上、その時の気分で母が購入したものなので、統一性はない。
ミニマリストの私、本当はこういうのが大嫌いなのだが、言うと反撃が面倒くさいし、居候の身なので大口は叩けない。


で、ご飯を食べ始めた私、お茶碗を手に持ち顔に近づけた瞬間、
”ぷ~ん”とたまごの生臭いにおいがした。

もしやと思って、箸を使ってご飯を横にスライドさせたら、案の定、お茶碗の底に黄色い卵の黄身と思われる汚れがついている。

そういえば、今朝母はこのお茶碗に目玉焼き乗っけて食べていたことを思い出す。
黄身が流れた跡が付いてる。


ああ・・・またか。

と、落胆するも、そこでお茶碗を替えたりすることはしないし、できない。
こういうことは長年にわたり頻繁に起こっているし、今に始まったことじゃないし、いちいち洗えてないなどと言うのも年寄りいじめみたいでしたくないし、なにより面倒くさい。
生臭いにおいで食欲が失せてしまったのだが、その気持ちとともにご飯を飲み込み、さっさと昼食を済ませた。
こういう時に、私は何も言えない。

食事を作ってもらっている手前、引け目があって言えないというのもある。
いろんな感情が入り乱れるが、結局事なかれ主義な私は自分の中に収めてしまう。

濡れた布巾をいつまでもテーブルの上に放置して悪臭漂わせたり、いつからあるかわからぬ変色した調味料がキッチンの引き出しの死角から出てきたり、言い出せばきりがないくらいあるのだが、親には言わない。
静かに黙って片付けるだけだ。



夕食後は明日のお弁当作りと、一日使ったシンクや食器類を総チェックする意味もあり、必ず私が片付けをすることにしているのだが、これからの土日の朝も昼も毎食後、食器類を洗うことにしよう。


黙ってそうする、そうするしかないんだ。
全ては私の精神衛生上の安定のためだ。





新しい洗濯機を買ったぐらいじゃ、親に対して大きな顔はできないわw
早く冷蔵庫も買わなきゃなと通帳とにらめっこする。




それとも、なにをどうしたって冷蔵庫を買ってもこの家にいる限り私は両親に頭が上がらないのだろうか、とも考える。

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