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どうしてそう思うのかを、考えてみる

沖縄戦が終結した日、6月23日。
79年前の今日だ。
朝、PCを立ち上げてnoteを更新したときにネットニュースで「慰霊の日、平和の礎などで祈りがささげられる」というのを見る。

ああそうか、今年もこの日が来たねと思う。
そして、戦争の悲惨さを話してくれた語り部の話を思い出すし、敵陣に突っ込んでいく際に、特攻隊の少年はおかあさん!!と叫びながら、また別の少年は死にたくないと叫びながら行ったという話が脳内に蘇えり、そのシーンを想像するだけで、涙が出る。
胸が苦しくなる。
毎年、この日は、切ない。

2012年6月23日から3日間、沖縄で平和学習をした。
会社から全額旅費宿泊費負担で、沖縄行ってこいと言われた私は、
「バカンスやんけ!!!超ご褒美やん!!!」
と、はしゃぎながら飛行機に乗って沖縄へ行った。
初日は、沖縄料理店で島唄生ライブ聴きながらビール飲んで、観光気分最高潮だったけれど、翌日以降からは、メッチャホリデ~♪(あやや)と浮かれて来た自分を恥じるほどの体験と学びををした。
沖縄に対して、無礼すぎる自分が情けなかった。
もっと下準備(戦争と沖縄についての勉強)をしてくればと後悔した。
それまでは、沖縄=リゾート 戦争=終わったこと、この程度だったからね。

この日を境に、戦争について、平和について、考えるようになった。
こういうマインドを持って12年ぐらい経つ。


12年前、沖縄に平和学習をしにいくと母に言うと、怪訝な顔をした。
しかし、その時の私はその母の表情も態度も、気に留めなかった。
沖縄リゾート行きに、浮足立っていたのだ。
一週間後、平和学習を終えて帰宅して、お土産を広げながら戦争についての話をし出すと、母が、また怪訝な顔をした。

ん?なんだろう、この母の感じ…。このまま戦争の話をするのはまずい気がする。


小さい頃から母親の表情を読み取って、言って良い悪いを独自に判断してその場の空気を読んでいた私は、いつものように、戦争の話をやめ、沖縄の食べ物の話へと変えた。

生まれてこのかた、ほとんど両親から戦争の話を聞いたことは無かった。
当時父は5才、母は2才、覚えていないと言っていたし。
そんなもんかと。



こんな一件があって。
今日の夕方、地元のニュースで
「地元から少年兵として沖縄戦で戦死した人たちの供養が、○○で執り行われました。」
と言う内容のものを見て、母が一言。

「なんで、こんなこと今もやってんだろうね。もうやめればいいのに。」
吐き捨てるように言う。

私は息が詰まった。
なんでそんなことを言うのかと批判もできなかった。
ただ、黙ったまま体を強張らせていただけだった。

恐る恐る母の横顔を盗み見ると、とても冷たい表情だった。

薄々わかってる、母が戦争に対して嫌悪感があり慰霊祭とか、そういうシンボルみたいなものを毛嫌いしているのは。
理由は知らない。
怖くて聞けない。



私は母の意見とは正反対だが、今までなら母の事を、「なんて酷い人間なんだ!」と罵っただろう。(小心者なので本人のいないところでだが)

しかし、何か理由があるのだろう。
ここまで嫌悪感が出る「何か」が。


わからないけど、考えてみようと思う。
母の心理を。


本人に聞けば手っ取り早いんだけど、面倒くさいのよw