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形見というのなら大切にしてほしい

粗大ごみに出す布団やら家具やらを、一つの部屋にまとめて置いてあったのを見て母が
「これも一緒に捨ててもらえる?」
と、使っていないこたつ布団を持ってきた。


おお、いいじゃん。そのボッロボロのこたつ布団捨てる気になったのだね。

口には出さないが、なんでもため込む母にしてはいい傾向じゃんと思った。

「ええよ、回収あと1つ空きがあるからもう一つぐらいだったら出せるよ。」
と、他にも捨てるもんあるだろう出せと促すものの、ないと言う。


私はおもむろに押し入れを開け、
「このかばん要らんのじゃない?」
薄汚れた、ボストンバッグを取り出す。
ハンドルは禿げ、あちこちにシミができ、座布団に圧し潰され変形した「L」と刻印されたベージュのバッグだ。
一体なんのブランドなのだ。
裏地には「L paris」とプリントされており、高い品物なんだか、安いもんなんだかわからん様相である。
パリと書いておけばええやろ、的なあの頃、高度成長期を感じる(笑)

そもそも、こんな押し入れの奥で座布団に圧し潰されるような状態で、管理の行き届いていないバッグなのだから、高価なものではないと思ってるが、いかに。

「あ・・・それは、姉ちゃんの形見。」
母の姉が使っていたバッグである。

容赦ない私は
「こんな汚いの、もう使えんやろ~、捨てよう。」


そう言ったが、母が悲しそうな顔を一瞬見せたのでこの場で捨てるのは止め、名残惜しそうだからやめとくわと言ってまた押し入れの座布団の上に戻しておく。
ここで捨てる捨てないの押し問答する気はない。

使わずに仕舞われた状態で、1年後発見されるのか?
いやいや、ほとぼりがさめた頃私はそっと捨てるつもりだ。


母自身、今の今まで忘れていた実の姉の形見と言うバッグ。
そういう物が、母の周りには山ほどあるのだ。

叔母(母の姉)が亡くなって、すでにその旦那も亡くなっており、DINKSだったので子供もいなかった。
医者の妻として贅沢に暮らしていた叔母はいろんな家具やブランドバッグやお洋服を持っていた。
母は捨てるのが忍びないと、これは形見だからと、結構な数の家具や調度品やらを持ち帰り自室の押し入れの中や、使わない2階の部屋に押し込めるだけ押し込んである。
1年に1回陽の目見るか見ないかなのである。

この物たちが不憫だ。

今まで使われず見向きもされず、捨てる間際になって思い出された鞄の状態や扱いが可哀想だと私は感じるのだが、母は捨てる行為の方が可哀想と感じている。
(ならば、もうちょっと手入れするなりしてほしいと思うけどね、言わない。)


どっちの考えが正しいとかではないから、私たちの意見は交わらないだろう。




私はまた年月をかけて、断捨離していこうとしている。
両親+叔母のものたち。

両親も叔母もこの年代の人たちは、高度成長期を生きたあるあるなのか。
管理できないほどの物を所有したがる。
数が多すぎて所有していることを忘れている。

ミニマリズムの話なんて理解できなんだろうな。
言わんけどw





そろそろ暖かくなってきたから、断捨離も掃除も楽しくなりそうだな。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ヤケクソダ!ヒトリデガンバルゾ!!