見出し画像

言葉の刃

母と母の姉は仲が良かった。
お互いの距離は離れており、簡単に会えるような場所ではなかったのでよく長電話をしていた。

それは、私の子供の頃の話だから40年ぐらい前のことだ。



学校から帰宅すると、母はいつものように電話で喋っている。
この頃(1980年代)と言えば、連絡手段は手紙か電話だ。
その中で電話はいいツールだった。

中学、高校生の頃、私も友達と電話を使って無駄話をしていた。
私が電話で話をしていると「長すぎる!さっさと切りなさい!」とよく注意されていたもんだが、母は自分が電話する時は専ら長電話だ。

今日も長いんだろうなあの電話…。

母が高笑いしながら電話をしている姿を横目で見ながら、自分の部屋に入った。

自分の部屋で過ごしていても、母の大きな話し声が聞こえてくる。
会話の内容で、相手は母の姉だということがわかる。
長電話、いつ終わるとも知れない無駄話。




母の声が聞こえた。
「じゃあ、野垂れ死ねばいい。」


うわー、また過激なこと言うてるなぁ。

一瞬そう思ったが、話の前後がわからないし、ずっとそばで聞いていたわけじゃないし自分の部屋でいたから、なんのことやら。
しかし、妙にこの「野垂れ死ねばいい」というフレーズが耳から離れなかった。


それからしばらく経って、母が言う。
「最近ねえちゃんから電話がかかってこんのよね。電話しても出ないし。」
その言葉を境に、母が母の姉と電話で話をしている姿を見なくなった。





それから10年が経ち、母の姉から母に連絡が入ったようだ。
末期がんで、身寄りがないから病院の付き添いと、最期の片付けを依頼されたらしい。

「なんで、長い間、音信不通にしておいて急にこんなこと言うてくるんだろうなって思ったわよ。
そうしたら、ねえちゃんが言うんよ。昔あんたから『野垂れ死ねばいい』って言われたことに腹が立ってたんだって。私そんなこと言った覚えもないけどなぁ。あの人は勝手に10年も怒ってたんやな。あはは。」

母は電話越しにこう言った。
私は当時、生まれたばかりの赤子に手を焼いていた頃だ。1990年代。

でも、私は覚えていた。


「おかーちゃん、おばちゃんに野垂れ死ねばいいって言ってたの、私は聞いたわよ。」






おばの怒りは、わからなくもない。
おばの旦那さんは若くして亡くなった。
おばには子どももいないので、寂しさを紛らわすために母に電話をしてきていたんだろうと、察想像できる。
当時中学生だった私は、そんなおばの心中など知る由もなかったけど、おばがパートナーを失った年齢に自分が近づいて来てみて、わかってくることがある。(私にはパートナーはいないけどな)


気丈に振舞うおばだったろうが、心の中までは誰にもわからない。

そんな時に、妹から言われた言葉「野垂れ死ねばいい」で心の奥深くえぐられたのだろうか。
その言葉の前後にどんな会話があって、どんな空気が流れていたのかわからない。

おばはとても傷ついて怒りもあったのだろう、10年も連絡をしてこなかったんだから。
しかし、自分が病に倒れてしまい、腹立たしい唯一の肉親の妹に連絡を取らなければいけなくなった時の気持ち。
想像することしかできないが、苦々しかったか悔しかったか、それとも安心感か。



母は1か月ほど、おばの家で暮らし、病院へ付き添い、その間に姉とのわだかまりがとけたと言っていたので、そうなんだろう。
美しい姉妹愛が復活したのかどうか、私にはわからんけども、母がそういうならそうだし、おばには聞けないし。
そして、おばは旦那さんのもとへ逝った。




美しい姉妹愛の復活、の結果。
財産分与。
あの時の母の機嫌はよかったもんね、お葬式も張り切ってやって、その後形見分けするわよ~と、身内集めてやってたから。

こうなってしまったら、おばの心中わからず。






言葉って難しい。
言ったことを言った本人は忘れていても、言われた方はずっと記憶に残り心に刺さったままになる。

半分母の血を引いている私である。
怖くなってきた。

私が言ったことが、誰かの心に長年刺さったままになってないだろうか。