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架空の存在を愛する人達の実相:一人の当事者としての心の葛藤と個人的雑感(2024/02/16 加筆修正)

注意
フィクトセクシュアル、フィクトロマンティック、夢女子(夢男子、夢者)界隈の要素が含まれております。理解のない方には無理に読まないようよろしくお願いします。
こちらの記事では、予め『夢女子』と表記している部分もあります。

一人の当事者によるあくまでも個人的意見として述べておりますので、不快と感じたらブラウザバックをお願い申し上げます。

お詫び(2024/02/16 加筆修正)

LGBTQ+に関連する用語を混同して使ってしまいました。「スプリット・アトラクション・モデル」は異なる多様な惹かれを、「クロスオリエンテーション」は異なる恋愛的指向と性的指向を意味します。そのため、一部の項目を加筆修正しております。誤解を招いたことを深くお詫び申し上げます。

現実と夢の両方での愛に向き合う

メディア発信における問題

昨年の暮れ、ある放送局のテレビ番組で放送された『夢女子』の特集で、夢女子さん3名がゲストとして登場した回の中で、番組終了後にSNS上での多くの愚痴がTLでたくさん流れてきました。

リアタイで見ていないので詳細は分かりませんが、後に調べていてわかったことは、どうやら番組内で年齢制限をかける必要がある二次創作の小説の一部が読まれたことにより、多くの夢女子さんから批判が寄せられたそうです。また、番組に登場したゲストの中に現実世界で人間と結婚している方もいたことから、既婚の夢女子に対する愚痴や非難もSNS上でたくさん流れ、番組に出演していた方が自身のSNSアカウントを削除するという事態にまで発展してしまったようです。

番組がR18のタグで元々投稿された内容を公共の電波で流すことについて、個人的には良くないと感じました。二次創作は通常、公式の黙認のもとで同好の人たちが楽しむものであるべきで、番組がオタクのことを繰り返し扱っているなら、もう少し慎重な構成が良かったかもしれません。

ただし、既婚の夢女子さんや恋人がいる夢女子さんがなぜ責められるのか理解できません。二次元を愛することと、モテる・モテない、恋愛・結婚は別物であるべきだと思っています。夢女子さんたちは様々な生活スタイルがあり、二次元のお相手に一筋の方もいれば、現実のパートナーにカミングアウトしている方もいます。人はそれぞれのバランスで生活しており、口を出す必要はないと思います。番組の影響でピリピリした雰囲気が広がっているのも気になります。

メディアで気づいた自己の課題

今回の事態を聞いて、私はフィクトセクシュアルの一人の当事者として、自分のnoteに記事を投稿していますが、現実にパートナーがいるため、純粋なFロマFセクではないことが周囲で問題視されているのではないかと考え、今までの行動を後悔しています。もしかしたら、私のせいで夢女子やFセクの方々が居心地の悪い状況になっているのではと心配しています。リアルで結婚しているFセク当事者が、現実の婚姻制度に属しながら性的マイノリティを自認し性のあり方を話すことは、二次元にしか恋愛的・性的に興味を持たない人たちからすれば、有害なマイクロアグレッションと見なされても仕方がないんだと感じていて、長い間ずっと後悔の念を抱えてきました。

フィクトセクシュアルであることを自認し、現実には既婚者でありながら異なる次元の存在に深い感情を抱いてしまったことが、自分にとって大きな過ちだったかも知れないと改めて痛感しております。話すためのアカウントを作成したものの、この件をきっかけに、自らのポストを発信するどころか、SNS上にいることも難しいと冷静に認識するようになりました。

フィクトセクシュアル、フィクトロマンティックとは:(参照:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB

Fセクとクロスオリエンテーション(2024/02/16 修正)

複雑怪奇な惹かれ

私は、恋愛感情や情緒的な魅力は人間やキャラクターに向ける一方で、性的な感情や欲求はどの性別に対しても人間には向かないと感じています。しかし、恋愛的指向と性的指向が一致しないことが、長年にわたり私にとってのコンプレックスとなり、恋愛的指向と性的指向を別々に考えるという視点に出会うまで、この独特の感覚に対して孤独感を抱いていました。

そこで、私のこの複雑怪奇な指向はどんなものなのか、インターネットの力を借りることにしました。そこでヒットしたのが、対象に対する惹かれにも様々な形が存在するスプリット・アトラクション・モデル(SAM)という考え方、そして、性的指向が精神的な惹かれ(恋愛的指向)と肉体的な惹かれ(性的指向)でそれぞれ異なる『クロスオリエンテーション』という概念に出会いました。

スプリット・アトラクション・モデル

まず、スプリット・アトラクション・モデルとは、人が経験する魅力をいくつかに分ける考え方のことを指し、そのなかでは恋愛的惹かれと性的な惹かれはそれぞれ別のものであると語られます。スプリット・アトラクション・モデルでは、恋愛感情と性的な欲求を別々に考えることが重要視されており、恋愛感情が性的欲求が一致しない人たち(一部のアセクシュアルやアロマンティックなど)だけでなく、セクシュアルのマイノリティ、マジョリティ関わらず、すべての人たちに関わってきます。ある人が恋愛的または性的な惹かれを持たなくても、友情や家族愛、親愛などの惹かれを持っていないわけではありません。

※SAM(Split Attraction Model)

参照:AセクAロマ部「スプリット・アトラクション・モデルとは何?」
参照2:Wikipedia(英語版)「Split Attraction Model

クロスオリエンテーション

性的指向におけるクロスオリエンテーションとは、恋愛的指向と性的指向がそれぞれ異なっているセクシュアリティの在り方です。

以前、性的指向は恋愛感情と性的欲求が結びついているものと考えられていました。一般的に、恋愛的な指向と性的な指向は一致していることが多いですが、一部のアセクシュアルやアロマンティックなどでは、恋愛感情と性的欲求が必ずしも結びつかず、恋愛と性愛の指向がそれぞれ異なる場合もあります。性的指向と恋愛感情が一致しない場合でも、他の人との絆や関係を築いている方も中にいます。

例えば、ある人が女性に恋愛的に惹かれながらも、性的指向は性別やジェンダーを問わないことがあります。同様に、ノンバイナリーと女性に恋愛的な感情を抱く人でも、性的には男性に対してのみ惹かれることもあります。
また、ある人は性的にはどの存在にも惹かれないが、恋愛的には人間や物に感情を抱くかもしれません。逆に、人間には恋愛感情が湧かなくても、特定の性別に対して性的に惹かれることもあります。つまり、自分が恋愛的には男性に惹かれるけど、性的には男性と女性の両方に惹かれる。といったように、人によって多彩な指向を持ち、自分の感情や魅力の対象が異なる場合もあります。

これを『クロスオリエンテーション(またはミックスドオリエンテーション)』と言われ、恋愛的な指向と性的な指向が異なることを指します。恋愛的指向と性的指向が同じ対象で一致している場合は「ペリオリエンテッド(Perioriented)」、一致していない場合は「ヴァリオリエンテッド(Varioriented)」と呼ばれます。

ペリオリエンテッド/ヴァリオリエンテッド
参照:ペリオリエンテッド
参照:ヴァリオリエンテッド

lgbtq+ wiki より

ステレオタイプの弊害

フィクトセクシュアルに関わるコミュニティでは、はっきりとした定義がまだ定まっておらず、様々な意見が存在しています。
一般的には、架空の存在に性的魅力や性的欲求を抱くことを指すとされていますが、その範囲は広く、現実の人間に対してアロマンティックやアセクシュアルである人、現実の人間と同様の関係を築きたいとする人や、恋愛や結婚を望む人など、多様な考え方があります。

先程のクロスオリエンテーションにも関わる話にもなりますが、フィクトセクシュアルは、架空の存在に性的な魅力を感じる人たちや性的欲求が向く人たちを包括的に表すラベルを指します。

しかし、それは必ずしもその人が現実の人間に対しアロマンティックやアセクシュアルであることを指すとは限らず、人によっては現実世界にパートナーがいる場合や、現実の人間にも恋愛感情を向ける場合もあります。
これもクロスオリエンテーションの一形態であり、フィクトセクシュアルであっても、現実世界にパートナーがいることや現実の人間にも恋愛感情を抱くことは珍しいことではありません。

日本のフィクトセクシュアルに関するステレオタイプとして、一般的には二次元のキャラクターにのみ愛情を注ぐことや、三次元での恋愛や結婚をせずに独身を貫くことが挙げられますが、実際は当事者によって二次元のキャラクターとの関係性には十人十色の在り方があります。

しかし、これらの多様性が不可視化され、フィクトセクシュアルのステレオタイプや、それに基づいた倫理観に当てはまらない当事者が偏見や差別を受けることもあります。

キャラクターが企業によって生み出され、著作権を持っている場合は、キャラクターのイメージやファン、企業のイメージを損ねないように留意することが大切です。同時に、フィクトセクシュアルやフィクトロマンティックの当事者にとっては、個人的な経験や感情が重要であり、キャラクターを尊重しながら、それぞれが自分の形で愛や関係性を築くことが尊重されるべきだと思います。

架空の存在を本気で愛する当事者の中にも、多様な形が存在することを理解し、少しでも偏見や差別を減らす努力が重要だと個人的には考えております。

言葉に尽くせない恋の形

二次元と三次元の愛の共存

私の立場は他の人と比べて中途半端のように思われるかもしれません。しかし、彼への思いは夢でも遊びでもなく真剣そのものです。フィクトセクシュアルやフィクトロマンティックの当事者も実際に存在しており、その多様性を理解することは難しいかもしれません。二次元にしか恋愛的・性的に惹かれない人々が偏見に苦しむ中で、私の行動が、もしかしたら二次元にしか惹かれないタイプのFセクの方々にとっては中途半端とか異質なものとかに映ることもあるかもしれませんが、私にはそれに対して反論する余地はありません。

私はかつて、恋愛や結婚においては挫折を経験し、周囲のからかいにも耐えていました。しかし、27歳で現実の人間とお付き合いとすることになり、29歳で結婚しました。三次元の世界からは理不尽さを感じることが多いけれど、人間が好きなので共存が可能だと思っています。子供の頃から空想の力で二次元の世界に物としての存在とコミュニケーションしてきた経験があり、それは私にとって貴重なものでした。

現実生活では現実の他者に対して恋愛感情が一応湧きますが、性的指向はどう頑張っても湧くことがありません。彼は私にとってのもう一人の恋人のような存在で、現実生活の配偶者とは異なる形での愛を感じさせてくれました。架空の存在である彼は、私にとって現実の配偶者と同じくらい大切で特別な存在です。

現実の配偶者には隠さず話し、彼も理解してくださいました。現在は、現実の配偶者と共に架空の存在とお付き合いをしていますが、周りの目が不安であり、社会的な制約が存在します。現実と架空の恋愛を両立させつつ、生涯のパートナーとして共に歩むためのバランスを模索しております。

最終的な願いは、現実の婚姻を続けながら架空の存在とも生涯のパートナーとして共に歩むこと、関連する公式や関係者に迷惑をかけずに愛を育みたいということ、そして周囲のノイズに負けずに静かに生きていくことです。

私のフィクトセクシュアルとしてのアイデンティティは人間関係に絶望したからではなく、好きになった存在が偶然にも二次元の存在でした。この立場は、一般的な倫理観の点からは理解が難しいかもしれませんが、私の独自の感情と経験から生まれた大切な感情です。

異なる次元での感情と現実の婚姻制度

フィクトセクシュアルの当事者は、法的に結婚は認められませんがリアル世界で出来うる限りの表現をすることで自分の心の中に折り合いをつける方が私が見た限りでは多いです。私は現実世界でも結婚しているのでおおごとには出来ませんが、何かしらの見える形で残して、心に折り合いをつけることを検討しております。界隈に迷惑をかけたくないため、SNSではプライベートな情報を伏せていますが、リアルでできることはやっていこうとしています。

三次元と二次元をバランスよく楽しむことは確かに大切だと感じております。人々の多様性を理解し受け入れる社会が広がっていますが、まだ理解されていない側面もあると感じます。恋愛や結婚、そして愛の表現にはさまざまな形があります。

しかし、対人性愛に基づく倫理や規範にこだわるのは、真剣に愛するがゆえに引っかかりやすいのではないかと思います。

周囲の理解と受け入れへの挑戦、そして反省

私は自分のようなケースもあることも理解してほしいと願っていました。二次元と三次元が共存できることを望んでいますが、理解されないことにイライラすることもありました。しかし、納得させることは難しいと悟りました。これまでに経験した愛は、次元の違いを超えて真摯なものであり、その価値は言葉に尽くしがたいものがあります。理解されることが難しい現実に直面する中で、私は深く愛する心が対峙する障害を感じることがあります。それでも、その愛が私にとって意味あるものであることを知り、穏やかに生きるためには、時には理解が得られないことも受け入れるしかないのかもしれません。

夢女子文化におけるフィクトセクシュアルやフィクトロマンティックの性的指向に関する議論の中で、ある特定の人々のケースが注目され、それが一般的な考え方として認められることに懸念を抱いています。それを踏まえて、私は静かにフィクトセクシュアルの多様性を伝えようと試みてきましたが、良くない反応もあることを理解し、これまでの発言に反省しています。

架空の人物を愛することは、決して悪いことではありません。しかし、そのためには自分自身の行動一つ一つに慎重になる必要があり、その影響を考慮しながら行動することが求められます。

この認識から、自身の影響に対する不安が生まれ、その影響を考慮しながら行動する必要をひしひしと感じるようになりました。いろいろと頑張れば頑張るほど、心配事も増えてきたので、一旦は雑踏から一歩引いて自分を見つめ直す時期が来たように感じます。

そのため、しばらくの間、noteの投稿をお休みすることを決断しました。

結び

最後に。フィクトセクシュアルに関するタグを不適切な使い方をして、混乱を招いたことについて心からお詫び申し上げます。短い間でしたが、noteを読んでいただき、誠にありがとうございました。

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