見出し画像

整理。頭の中ダンプ。

本日、大変ショックなことがあったので気持ちの整理をするために、がんばって言語化してみようと思います。

前提として、善悪については一切触れずに、今回わかった事実について思いついたことをつらつらとまとめる感じにしようと思います。

まじで頭に浮かんだ言葉をダンプしているだけなので、シッチャカメッチャカなのはご容赦ください。

「有能な」先輩の「無能な」者への愚痴

かつて一緒に仕事をしていた先輩方の「無能」な人に対する愚痴をたくさん聞いてしまった。私はかつて自分の無能さから、その方々から大量の批判をいただいて自己嫌悪が膨大してうつ病で休職しました。

幸い今は別の部署になり、その方々とは直接関わることはございません。
しかしながら座席は近いままなので、その方々の愚痴は丸聞こえです。
本日聞いたことをかいつまむと以下の感じです。

・「何がわからないのかわからない」系
・「なんでそんなに時間がかかるのかわからない。絶対そんなに時間かからないだろ」系
・「教えるにしても、教えがいのないやつに教えるのも徒労だ」系
・「かんたんな質問するのが嫌なのかな。そんなの聞けばいいのに」系

などなど。まぁ至極当然のことを言ってますよね。
できない人の立場になることができないスーパーマンの苦労話ですね。
わりと容易に想像できるんじゃないでしょうか。

今回のは私に対して言っていたわけではないですが、そのまま自分に言われているみたいで、身が引き裂かれる思いで聞いていました。

「いや、悪いのは自分だけどさ。。。」
「どうしたらいいのさ。。。」
「なんでそんなに嫌悪してくるのさ。。。」

「こういう人たち、苦手だな。。。」

なぜあの人たち(正しい人たち)が苦手なのか。なにか原因が必ずあるように思う。

常識的に考えればあちらが正しくて、こちらが正しくないのだから、ぐうのねも出ない。これ以上の主張は言い訳になるから黙るしかない。

でも直感的に「いやいや、そんな早く仕事をこなせるわけ無いだろ」と思っている。

直感なので客観的根拠が薄い。基本的にその手の考えは、情緒的なものなので客観的事実とは異なる場合が多い。なんでかというと感情や情緒といったものは他者は知りようがないからだ。(ある程度伝えることはできるだろうが)

しかしながら、感情はその人自身にとってはリアルタイムで存在している純然たる「事実」なのだ。

💡ここに断絶が存在しているのでは?

あちら(有能な人)とこちら(無能な人)には、断絶があり、その断絶の正体は「主観的事実の無視」であった。

ということは、すべきことは「主観的事実の主張」なのだが、そんなことしたら「仕事に感情を持ち込むな!」で終了。

なので、有能な人から(その人の経験から裏付けられる)妥当な達成基準を提示された時点で敗北が確定しているのだ。そんなものそっちが正しいにきまっているし、間違っているこっちはそれに従う以外の選択肢はない。

だけれど、主観的事実の主張が許される間柄だと、とても精神的に健全であれるのはこれまでの経験上わかっている。

つまりだ。「主観的事実」がまかり通らないから、私はあの人達が苦手なのだ。

主観的事実が否定されるということは、感情が否定されるということ。
感情が否定されるということは、人格が否定されるということ。
人格が否定されるのは、ダメージが大きいに決まっている。

(もちろん、人格が否定されているからといって、パワーハラスメントに該当するわけではないと強調しておく。こういった事実が観測されていないのだから、行為者にも自覚がないのは自然)

こういったときに、できることは。
・個人が成長を果たすか(耐える力、主張する力)
・他者が理解を試みるか(こんなこと言ったら反感買うけどね)
・ルールで安全を確保するか
ですわ。

少しだけスッキリしたような気がした。

ただ、なんか言いたいことはもっとたくさんあったし、イメージしていたとの全然方向性が異なったところに言ってしまった。文章を書くのって本当に難しいって思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?